⑦日本外史(巻之一・重盛の極諫)、平家物語(巻第二・小教訓)など「鹿ケ谷の陰謀」
【7】「平重盛」
平安時代末期の頃のお話です。
平重盛は、とても忠実、真面目で温厚な人で、さらに武勇に優れていました。
ある時、藤原成親は勢いある平氏を滅ぼそうと密かに計画を立てました。
後白河法皇も、その計画に関係します。
時の権力者である平清盛は成親を捕らえて、さらに法皇も捕らえて別の場所に移そうと考え、素早く一族や家来に命じて武装させ、行動しようとしていました。
その一大事を知ったある人が馬で駆けて重盛に告げます。
重盛は非常に驚いて車を呼び、父清盛の館に赴き敷地に入ると、兄弟、親族の全てが武装して馬に鞍を付け、戦の旗を並べて多くの武士等が出陣しようとしています。
重盛は一人、普段着に烏帽子を付けて入っていきました。
すると、弟の宗盛が服の袖を引いて言いました。
「兄は、なぜ武装してないのですか」
重盛は睨んで言います。
「お前らは、なぜ武装しているのだ。敵はどこにいるのだ。私は国の大臣、大将軍である。皇室を脅かす敵がいなければ武装はしない」
清盛は、そのやり取りを遠くから見ていて、素早く鎧の上に黒衣を重ねて着て表に出てきました。
時々、襟もとを直そうとしますが、下の鎧がチラチラと見えています。
清盛は重盛に言いました。
「成親の計略は法皇に原因があるようだ。近頃は小者が身分に合わないことをしている。さらに、君が軽はずみに騒ぐため、どうしようもない。私は一度、君に移動してもらい、物事が落ち着くことを望んでいる」
言葉が終わる前に、重盛は涙を流しながら言います。
「重盛は父のお姿をよく見ていて一族が衰退していくことを知りました。重盛は聞いています。世の中には四つの恩があると。その中で皇室の恩が最も大切です。そもそも、我一族は桓武天皇の血筋を有難く受けており、皇室を降って臣下となり、中頃までは世に大きく出ることもありませんでした。また、平将門公の功績をもってしても国守となるにすぎませんでした。しかし、父は功績を重ね太政大臣にまで昇ることになり、そのお陰で子である私は大臣大将を有難く受けることができました。」