それからあわてて家に帰り、インターネットを駆使して『胃瘻』に関する記述をあちこち探し、むさぼるようにして読みました。いろいろの立場からの経験談、個人のブログに至るまで。当然のことですが、夫と同じ条件下の例などあろうはずがありません。特にALSは発症の状態、その辿る経過は全く十人十色です。私は本当に困ってしまいました。

しかし、その間病名も判明し、症状も固定化したということで、病院の所在地の隣県の岡山県から、居住地の広島県福山市の病院に転院となりました。『胃瘻』に関する宿題は継続のままでした。

この転院した病院には、先の決定診断をお願いしたALS専門医の直弟子のK先生が居られるので、夫も全幅の信頼をおける医師との出会いに、とても精神的に落ち着いて見え、時折看護師さんたちの話に笑顔すら見せるまでになりました。ところが好事魔多し。私たち家族がホッとしたのも束の間、呼吸困難状態が何度か襲いました。

もう鼻マスクでは到底対応しきれなくなり、主治医から本人を交えて家族にも、人工呼吸器装着の話が出されました。私は遂に来るものが来たと肚を括りました。『胃瘻』の問題は病院が変わったので一時回避となっておりましたが、今度はそうはいきません。呼吸困難が今、現実となって現れているのです。

家族としては、本人の気持ちを第一にということにしました。本人の出した結論は『人工の力を借りてまでも延命はしたくない』ということでした。私はその旨主治医にお手紙を(したた)めました。しかし本人の息苦しさは募るばかりです。これを見ている私たち家族の気持ちはとても複雑なものがありました。

満を持して、子供たちから、装着をお断りしたことに対する異議が出ました。そこで再度、本人を交えて話し合いが持たれました。家族としては、どんなことがあっても、一緒にこの病気に取り組むから、呼吸器を装着して欲しいと夫に頼みました。呼吸器を着ければ、今の苦しさからも解放されるし、器械はあくまでも、自発呼吸を助ける補助的なものとして捉えれば良いことだと話しました。

私は、目が悪ければ眼鏡をかけるし、耳が悪ければ補聴器をつける。足など骨折すればギプスで固定する。呼吸器もそれと同じに考えようとかなり強引に話しました。

【前回の記事を読む】【闘病記コンテスト大賞作】ALSと診断された夫「人工的な補助装置は一切拒否する」家族はどうにか説得しようと画策するが…