④続日本記(巻第八・養老四年六月己酉)
【4】「丈部路祖父麻呂」
奈良時代の頃のお話です。丈部路祖父麻呂は漆器を製造する役所に勤める石勝の子です。養老四年(西暦720年)、石勝は役人の秦犬麻呂と一緒に職場の漆を盗んだことで、罪として遠くの土地に追いやられることになりました。その時、祖父麻呂は十二歳。弟の安頭麻呂は九歳、乙麻呂は七歳でした。
三人は役所に行き、深い礼をしながら言います。
「父の石勝は私たちを育てために役所の漆を盗んで、これから罪に問われて、遠くに移動させられます。お願いします。私たち兄弟三人が役所のお仕事の手伝いをするので父の罪を許してください」
役人は答えて言いました。
「人は生まれつき五常、つまり、仁・義・礼・智・信を持っている。しかし、仁義が一番に重要である。百の良い行いがあったとしても孝行が最初である。今、子供等が自分の身を犠牲にして父の罪の許しを得ようとしている。親子の間柄で当然に求めるところであるが、その行いは大変に私の心を動かすことである。三人の言う通り、しっかり役所の仕事の手伝いを行いなさい」
そうしてすぐに、父の石勝の罪は許されました。猶、犬麻呂については罪により遠くに追いやられました。間もなく、石勝は元の仕事に戻され、三人の仕事の役目も終わりました。
⑤前賢故事、本朝彤史列女伝
【5】橘逸勢の娘
平安時代の頃のお話です。橘逸勢の娘は誠実な人です。父、逸勢が伊豆、現在の静岡県に罪を受けて流されることになりました。娘は悲しみで泣きじゃくり、歩いて父に付いていきます。しかし、役人は娘を叱って寄せ付けませんでした。そこで、娘は昼間の間はこっそり隠れ、夜になると父を追って行きました。
しかし、逸勢は遠江という所に着いた時に病気になって亡くなってしまいます。娘は大変悲しみ、泣いて声も出ませんでした。娘は父の棺を宿の側に埋めてから近くに小屋を建て、父の死をお祀りしました。
その孝行の姿は父が生きている時と同じようです。十年経ったある日、父の罪が許されたので、娘は自ら父の柩を背負って京の都に戻り、それからお墓を建て父を葬りました。