砂上の楼閣に気付かない

彼は、会社の帰りに、定年退職後の生活のためということだが、ある資格をとるために専門学校に通っていたのだ。そのために毎日帰りは遅くて日曜日も家にいないのである。

「そんな先の事を考えるよりも、今、この子たちをちゃんと育てるのが先決問題」

という私の言葉に、

「普通は母親が全部やっている」と応じる。

「その母親が普通にやれないのだから。あなたも父親としての責任があるんだから。会社が終わったら早く家に帰って、日曜とかも子供と遊んであげたりしないと……」と、私が力説しても、彼はヘラヘラ笑っていたのだ。

そのため、私は後ほど手紙を書いたのである。

老後の生活のためなど先のことばかり考えているが、今、目の前にある問題にとりくむべきである。

もし、子供たちが健全に育たなければ、あなたが「安定した生活」と考えているものは砂上の楼閣にすぎなくなる。

彼は私を無視し、退社後も資格勉強を続けた。妻子のために時間を割くことはしなかったのだ。あくまでも「形」「お金」に固執する生き方を変えなかったのである。

そして、十数年後に、私の“予言”通りの事態が現れてしまったのだ。“働けない子”は、「金喰い虫」である。彼が思い描いた楼閣は、まさに、「砂上」のものとなったのである。

「知」に傾く母、「形」と「お金」に価値をおく父。その結果として「無行(むこう)息子(むすこ)」を持つことになったのだ。