【前回の記事を読む】「自分にも、これからでも、何かできることがあるはず」息子を見て母は…

第二章 「寄り添うってなに?」

3.ぽんこつ助産師、なぜいま「寄り添う」を考えたか

差し伸べられた神の手=「書くこと」

私は子どもたちに何を残せるだろう? この家と私の命の代価がどのくらいになるのか。私が突然死んだら、子どもたちはどうしたらいいのか。せめて私の死後、子どもたちが数年は生きられるお金を残そうと思って、離婚後には生命保険に追加して入った。生きるためには身を守る家、そしてお金も必要だ。けれど、人が生きるって、お金があれば幸せなのか?

私は、お金に不自由せず育った。それはありがたいことだ。けれど、決して幸せではなかった。親の不仲、絶えない夫婦喧嘩、怒声の響く家で、震えながら泣きながら弟と二人不安な夜を過ごした。それなのに、世間には、それは知られてはいけない秘密だった。

父の暴力は母と弟と私だけが知っていた。家族の秘密、母に口外を禁じられていた。学校の先生に助けを求めることも許されなかった。

外では優秀なお嬢様を演じながら、監獄のような家に戻らなければならなかった。生き地獄だった。

私は子どもたちに、私と同じ思いだけはさせたくなかったのに、結果、そんな思いをさせてしまった。でも、だからこそ、逃げる決断をした。母ができなかった離婚を選択した。

今はお金に不自由しても暴力のない幸せを感じる。けれど、これは六年前そんなことがあったよね、だけではすまされない、とんでもないことが私たちに起きたと思っている。

私も子どもたちもこの六年、日々を生きるため葛藤しながら、まさに死に物狂いで生きてきた。そして今、仕事を失った私に訪れた膨大な時間は、きっと書くために与えられた時間だ。