Gによると、道路や橋の整備に日本仏教界は多大な貢献をしているという。中田は今回のツアーで日本仏教界の底力を随所で知らされることになる。
日本人はインドへ入るにもネパールへ入るにもパスポートとビザが必要であった。インド人、ネパール人は互いにパスポートもビザも不要で、中田たちがバスでやってきた、インドとネパールの国境では、道路の或る地点を過ぎると、そこがネパールでありインドであり、両国の人々は自由に国境を往き来していた。
インドの出入国管理事務所とネパールのそれが道を挾んであった。建物の前でバスが止まり、添乗員のUと現地ガイドのGが中田たちのパスポートとビザを集めてインドの事務所へ入っていった。程無く出てきた二人はネパールの事務所へ入っていった。
中田はバスの窓から道を行き交う人々を眺めていた。インド人であろう、美しい二人連れの女性が、ネパールからインドへ通り過ぎていった。既婚の女性は額に赤い印をつけているという。彼女たちは結婚しているということになる。
30分ほど過ぎてUとGがバスに戻った。入国OKだという。
バスでUは言った。「ネパールの職員にボールペンでも何でも差出せばもっと早く入国OKがでたのだろうが、そういう添乗員もいるが、私はそういうことはしない。」
バスはルンビニーのホテルに近づいていた。遠くに夕陽が沈もうとしていた。道の両側は草木で覆われ、電柱が建ち、送電線が続いていて、中田が育った山野を連想させる。ただ、道路はここのほうが広かった。10年前はルンビニーにホテルはなかったという。ルンビニーに向かう道も日本仏教の関係者が整備したという。お陰で今回のバスツアーが可能なのである。