政二は二十三歳で呉服屋の娘・さかゑと結婚をして、夫婦で店の仕事をしていた。安子と和司の二人の子も生まれたが、さかゑは結核を患い、実家で療養していた。そして結婚して六年、まだ小学校前の子供たちを残して早逝してしまった。

子供たちは母たまが面倒を見ていた。虚しい日々を過ごしていた政二は、支店を二歳下の三男・敏三に任せて、軍人になる道を選んだ。

長男・寛一郎は結核で臥せっていたが、遊郭に通い始めた政二を叱責し、「出て行きなさい」と言われたのである。両親の許しを得て、政二は上京して兵学校に入り、近衛師団に勤務。のちに中国奉天に渡って関東軍将校の位に就いた。政二、三十一歳のときである。

日本軍が中国へ進出して勢力を広げていた時代である。しかし、日中戦争から太平洋戦争へ、そして第二次世界大戦へと大きなうねりに飲み込まれ、やがて敗戦を迎えることになることは、まだ知る由もなかった。

その頃の満州にはたくさんの日本人がいた。その中の一人、九州長崎の炭鉱夫の長女・房子は、次々と生まれる子供を抱えて、貧しさから抜け出せない父母を助けるために、小学校を出ると好きな勉強を諦めて働き始めた親孝行な娘であった。

長崎から福岡へ、そして十六歳のとき、新天地満州に渡る勇気ある少女でもあったのである。満州では、食堂や居酒屋、バー、ダンスホールなど、少しでも条件の良い働き口を求めて、給料を切り詰めて親に送金した。しかし、まだ心もとない十八歳の娘。華やかな世界に馴染めず脚を腫らして入院し、頼れる人もいない異国の地で戸惑うことが多い日が続いていた。

そんなとき、以前かわいがってくれた店主が、満州から漢口に移ってバーを開くからついてこないかと誘われた。その漢口の店で、将校のバッチを付け、目深に帽子を被った頼りがいのある政二と出会ったのである。酒の呑めない政二は、純真で親思いのけな気な房子の話し相手となり、惹かれていった。