2. 幼学綱要序
明治十二年、夏から秋にかけての頃に皇室に仕えている永孚は、宮中の学問所において陛下にお仕えしていました。
明治天皇が親ら諭しておっしゃられました。
「教育、学問の要点は本学と末学を明らかにすることにある。本学と末学が明らかになれば、国民の志も自然と定まってくる。
国民の志が定まれば世の中は平穏になり、安定することになる。これを実現するには、幼い時の学びから始めるしかない。
あなたは文学に仕える身として相応しい一つの書を作り、それによって児童の教育に役に立つようにして欲しい」
私は心から畏れかしこまり、勅を受け、謹んで陛下のお心を明らかにしていきます。
思うに、歴代の天皇陛下は、その意思を引き継いで最高の規則やお手本を作り、国民に知らせ、国民に対して徳をもって接してこられました。一つとして最も深い真心から出ていないものはありません。
だから、国民は皆、嘘を吐くことがなく、正直であり、親の慈愛が深く、子供は孝行の心が厚く、陛下は国民に対して仁の心で接して、国民は陛下に対して忠義の心で接していることが明らかです。
六経(『詩経』、『書経』、『易経』、『礼記』、『春秋』、『楽経楽記』)が日本に伝わり、仁義道徳の教えが国民の中でよりに明らかになり、知られるように広まっていきました。
世の中の成り行きが移り変わり、学科についても栄えたり衰えたりもしますが、この学科を教える場合も、その大本は、すなわち仁義道徳以上のものはありません。
それは道徳が基本として知識が育ち、人が常に守るべき道に始まってから事業に行き着くことが教学の本質だからです。
そのため、これを導くためにはまずは仁義から教え、これを教えるにまずは忠孝について教えることを行う。そして、全国の国民の志がこの仁義忠孝の一点に定まっていけば、その後は知識についての学びも進みます。
その才能が育っていく様子は、その者が言葉を発する時や実際の行動の中に表れてきて、大きな事業や社会の役に立つような行は、必ず仁義忠孝の考えから出ています。
仮にも意識がここに向くことに定まらず、知識才芸ばかりを一生懸命に行えば、結果として徳性を落として、教え導くことが難しくなり、その弊害は計り知れないものになります。
世界を広く見ていくと世界の中心といっている中国、文明国といっている欧米の諸国は今もなお、争いが起こり、それから逃れることができていません。
これは知識力を優先にして、仁義を後にしてしまった結果であるともいえます。
もし、仮にも仁義を後にして、知識力について競い合えば、その結果として仲が悪くなり、上下がそれぞれ争い合い、お互いが奪い合わなければ満足できない状態になります。
このような状況になれば、結果として世界が乱れることを、どうやって止めることができるのでしょうか。