よし――。
度胸を据えて、今度は和風割烹と書かれた暖簾の下がった料理屋に入った。名刺と新聞を右手に持って、
「店長さんにお会いしたいのですが」
と女性店員に言った。まだ午前十一時前なので、店内には客が誰も来ていなかった。
女性店員は白い三角巾をかぶり、木綿の白い上着と白いズボンという制服らしきものを着て、膝の所まである白いエプロンを掛けていた。頭のてっぺんから足の先まで白ずくめで清潔感が奥の厨房から漂ってくる匂いと相俟って、感じの良さを十八歳ぐらいに見える彼女から印象づけられる。彼女はまだ幼さが残っている顔だが、
「少々お待ち下さいませ」
と言い、客の応対はきちんとしつけられているようだった。しばらくして、初老の男性が店の奥から出てきた。制服の上着の下にはブルーのストライプのネクタイを締め、いかにも店長としての風格が彼の少し小肥りな体から漂ってくる。
晴美は、体を折り曲げて一礼し、右手に持っているタウン誌を手渡した。
店長は
「まあ、お座りなさい」
と右手で軽く促す仕種をして、自分もテーブルから椅子を引いて座った。晴美はほんの僅かな期待感を抱いた。そして、店長と相対して座った。店長は、『ゴウジャイ』を一ページずつ丁寧に見ていった。晴美は、店長がぺージに目を移す度に緊張感が増してきた。体が「ブルブル」と震えた。
読み終えた店長は
「うん」
と小さく声を出した。好感を抱いたようだ。
晴美は、幾度も出かけていくという意味が何となく分かってきたように思った。この店長はそのうちに広告を出してくれそうな気がした。
「ありがとうございました」
と一礼をして、晴美は店をあとにした。そして、メモ帳に〈多賀料理店は脈あり〉と鉛筆で書いた。その字は踊っていた。
往来に出た。昼時の往来は午前中と違い、幾分交通量は少ない。みんなが職場や店などで御飯を食べているからであろう。晴美は街のはずれの少し裏手にある職場に自転車を漕いで戻った。『ゴウジャイ』の建物はライトブラウンの鉄筋の平屋建てである。
中へ入ると横長に机が並べられ、西側の一角に茶褐色の布製のソファーが置かれている。客が来たときの応接用として使用される。大手の新聞社には敵わないが、いかにも新聞社といった雰囲気は充分に醸し出している。
正社員は四人で、川木編集長は社長を兼任している。鈴岡編集次長、中川営業部長、津田女性営業主任、そして晴美である。あとの編集部員二人、営業部員二人はパートである。ノルマが課せられているため営業部員の入れ替わりが激しい。晴美は資格を取得しているため正社員にはなれたものの、内実はパート以上に厳しいのだ。
各自の机には仕事に必要な所定の事務用品、原稿用紙や編集に必要な割り付け用紙や定規などのほか、さまざまな書類や消耗品が雑然と散らばり、積み重ねられている。ロッカーは全員に割り当てられている。社員と編集部員のパートには机が与えられているが、営業のパートにはない。だからパートの営業部員は取材で出かけている社員の机を貸してもらうとか、応接ソファで仕事をこなしている。とは言っても営業は外回りが多く、殆ど社内にいないことが多い。
晴美は思うのだ。机が与えられていないパートさんは気の毒だ。待遇の厳しさはよく分かるが、それにしても留守の社員の机の上で仕事をしているのを見かけると、胸が痛むのである。