例のリクとアカネの物語を書こうとして、私は自分の心の老化にぶちあたり、ほとんど書けないままにつまずいてしまった。若い登場人物たちの気持ちに、心が追いつかないのだ。

社会生活でこびり付いたアカを落とし、精神を若返らせないことには書けないことに気づき、どうすればいいのかいろいろ模索した時、出てきた答えが、過去をもう一度生きてみたらどうか? という方法だった。日記に記された通りに日々を暮らし、過去を追体験させることで、強制的に若返りを図るという荒療治だ。

思い付いた時、そんなこと今更できるかよ、という諦めの冷笑が浮かぶとともに、こいつは面白そうな企画だぞ! と思わず子供のようにワクワクしている自分がいた。

こんなワクワクは久方なかった感覚だ。書こうとしている純愛ストーリーとはあまりにかけ離れた暗くみじめな私の青春だろうと、今必要なことは、長い社会生活の中でなまり、鈍り、常識という衣で凝り固まった精神を激しいバイブレーションにかけること。強制的に若い頃の日々を体験させることで自らを激しく揺さぶり、魂を震撼させ、積もったアカを落とし、固い衣をぶち破ること。

それはある意味危険な賭け、これまで積み重ねた大人としての自分を破壊しかねない行為でもある。もっとも過去の私は、ケンカに明け暮れていたとか殺人を犯したとか、そんなドラマチックな愚行とは無縁の、孤独な青春時代を過ごしていた。はた目から見れば、引きこもりがちの変わり者でしかなかっただろう。

しかし心の中は荒れまくり、大学生にもなって恥ずかしくはないか?というガキみたいな行動のオンパレードを裏で繰り返していた。

そんな日々が日記には記されている。それを四十を越えた私が実際にやろうというのだから、二の足を踏まざるを得ない。なにもこんな方法ではなくとも、青春を取り戻し、純愛ストーリーを書くやり方はあると思う。

けれども不器用な私にはこんな方法しか思いつかなかったし、結局のところ、この挑戦を契機として、私は新しいスイッチを押したかったのかもしれない。