・神様、助けて
「神様、助けてください」、最後は、神様に助けを求めるものなのだな。神は乗り越えられない試練は与えないというがつらかった。とても乗り越えられそうに思えなかった。
私は、実はあんな状況にあっても、離婚だけはしないつもりだった。だから、皮肉にも離婚する直前に、「離婚はしない、死なない」、と誓いを立てて洗礼も受け、クリスチャンとなった。でも、信仰が薄かったからなのかしら、神様はみてくれてなどいないのではないかと思った。離婚したい、死にたいとばかり考えていた。
荒れ狂う夫の暴挙の中で、私は発作的に自殺を図ったらしく、すんでのところで長男に止められた。長男には悲しい思いをさせた。私は「死にたい」病に取りつかれている自分を自覚して、心療内科を受診した。診察と心理テストの結果、はっきり「うつ」と告げられた。
抑うつ状態ではあったが、まさか「うつ」の診断がつくとは思っていなかった。診断名は正直ショックだった。けれど、納得した。抗うつ剤を服用してから、強い希死願望がなくなった。それでも、つらくて生きていることが苦しい。どう生きていいのかわからない。神様なんていない、私を見つけてくれない、助けてなどくれない、反抗的な感情さえもった。
そんなある日、心療内科の待合室の一冊の本に目が留まり、不思議な感覚に包まれた。心療内科には、不思議で素敵な変わった本がたくさん置いてある。それは、可愛い猫の写真が語り部となっている『人生はニャンとかなる』(水野敬也・長沼直樹、文響社、2013年)というタイトルの本だった。
本を手にした時、読んでもいないうちから、「何とかなるのかな、生きてさえいれば」と思った。そうか、神様はずっと傍にいてくださったんだ。なぜなら、今こうして死なずに生きているから。死んではいけない、生かされているのだから、「助けを求めなさい」と、イエスはおっしゃる。
私が子どもたちにできること、そのたった一つのことは、とにかく死なないで生きること。仕事もお金も、生きてさえいれば何とかなるかもしれない。実際、どちらも何ともなっていないが、あがいたところでどうにもならない。「何とかる、何とかなる」、何の保証も確信もないが、そう思うことにした。