コロナ禍中、生きていられるだけでありがたいのだが、やっぱり、とにかく仕事をしなきゃ。求人募集が出ているいくつもの大学に履歴書を提出したが、面接までいっても結果はすべて不採用だった。どうやら私は教員のブラックリストに載っているのかと思うほど断られた(面接を受けたある大学では、面接官のうちのお二人が「天下りログ」に掲載されていた方だった)。
困窮しはてて、恥も外聞もなく、もと夫を頼ってしまったところ、教員にこだわらずに看護師として病院で働けばいい、親にお金がかかるなら、生活保護にしたらいいと書かれた手紙が届いた。
私は、別に大学教員にこだわっているのではなかった。大学教員は裁量労働制で、授業・実習や会議、学校行事以外は、自分で仕事の時間を自由にできた。それに、これまでのキャリアも活かせる。決められた時間に決められた場所に居なければならない制限は少ない。だから、子どもたちを育てながら仕事を続けることができた。
むしろ、昼夜なく、土日もなく、ずっと家で仕事をしてきた。教育と研究、その他にも私大の教員には山ほど仕事がある。大学でなければできないこと以外は、ほとんどを持ち帰って家で仕事をしてきた。睡眠時間を削れる得意技は、自慢できそうなくらい。
子どもたちもそんな母親をずっと見てきた。今、思うと、いつも忙しく、無理して限界ギリギリで働く母親の姿は、子どもにとっては切なかったに違いない。だから、次男は、私が死んでしまったらどうしよう、という不安をいつも抱えるようになったのかもしれない。