だが僕の期待を裏切り目の前の女性は、「いらっしゃいませ」とだけしか言わずごく普通に落ち着いた態度で自分に特別な反応は示していない。まさか他人の空似それともドッペルゲンガー※2なのか。いや、もしかしたらただの補色残像※3なのかもしれない。自分の心の中に描き続けていた彼女の姿が店の白い壁を背景にして浮き上がってきたのだろうか。

でも女性は言葉を発しているから残像なんかではない。声のトーンも雰囲気も彼女そのものであまりにも似すぎている。残念ながら女性のオーラは店のたくさんの花で遮られてはっきりとは感じとることはできないが、そこはかとなく彼女と同じように思える。懐かしい暖かな気持ちに包まれ久しぶりの感覚に酔うと目頭は熱くなる。

ともすれば、夢を見ているだけなのか。夢なら覚めないで欲しい。でもこれは間違いなく現実だろう。こんなことがあるわけがない。単なる思い込みもしくは勘違いで、逢いたい想いが強すぎて他人を彼女にだぶらせているだけなのかもしれない。目の前の女性の顔を見ていないので、どのくらい似ているのかわからない。

考えてみれば彼女をしっかり見たことはなく覚えているのは横顔だけで、写真でしか彼女の正面の顔を見たことがない。それも卒業アルバムの中に小さく映る彼女の写真しか持っていない。

フラワーショップに初めてしかも慌てて入ったので花の選び方がわからずに思い迷っていた。緊張のあまり口の中は乾き、喉に言葉が張りついて出てこない。それを察してくれたのか、

「何かお探しの花はありますか」

と女性が僕に声をかけてくれた。

「――それはあなたです。ずっとあなたを探していました」

と心は正直に答えているが、実際に口から出たのは、

「いいえ別に、ええと……その……何かお勧めの花はありませんか」

という自分の心を反故にするような言葉。

「ではいくつかお聞きしてもよろしいですか」

と女性の声は優しい。首を縦に振って、「はい」と小さな声で頷き僕はそれに従う。


※2 ドッペルゲンガーとはそっくりな姿をした分身や自分自身の姿を見る幻覚の一種。

※3 補色残像とはある有彩色を凝視したあとに白い壁などへ目を移すと、そこにその有彩色の補色が見えてくる現象。