ハナコ達が暮らしている海は南氷洋に近い南の海だ。

海は生命を育むゆりかごであるとともに、厳しい生存競争の場でもあり、マッコウクジラがシャチやサメに襲われて命を落とすことは仕方のないことだ。しかし今ハナコ達が棲む海域に起こっている異変は、通常の生存競争ではなかった。

それは信じられない話なのだが、いつもはマッコウクジラに食べられているダイオウイカの一匹がとてつもなく巨大化し、逆にマッコウクジラを襲っているというのだ。

マッコウクジラだけでなく、サメやシャチさえも襲うというのだ。ハナコの群れのマッコウクジラ達は、その巨大化したダイオウイカを悪魔という意味を込めて『デビル』と呼んで恐れていた。長老は言った。

「わしはこの年齢(とし)になるまでいろいろな海で過ごしてきたが、時々化け物イカの話を聞いたことがある。長生きするといろんな話を聞くものじゃ。化け物イカというのは昔からいたそうじゃ。何かのはずみでそのような化け物が生まれてしまうのじゃのう。

だが近頃では、ほうぼうの海で昔よりも得体の知れない化け物が多く現れるようじゃ。特に人間が流した汚い水が海流に乗って集まる場所では多いようじゃ。そういう場所では化け物でも棲めればいい方で、たいていの生き物は棲めなくなってしまうのじゃ。

最近向こうの入り江から赤や青や黄色の汚い水を海に流しているようじゃが、もしかしたらその汚い水が原因であんな化け物が生まれたのかも知れぬのう。

何しろその汚い水ときたら、臭い上に気持ち悪くてかなわんのじゃ。その汚い水の濃いところはどんな生き物も寄りつけないくらいじゃ。その汚い水を飲んだダイオウイカはみんな死んでしまったそうじゃが、死ななかった一匹が化け物に変わったのではないかのう。わしにはそう思えてならないのじゃ」

長老の話を聞いて、ハナコはとても怖いと思った。

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