英介は慶城大学四年の時に、アメリカに留学した。大学ではご学友たちはみんなセレブで、毎晩、六本木や銀座で飲み歩いていて、だんだんそんな生活に飽きてきていた。自分を見つめ直したいと思い、留学することにした。父親の正介も、このままでは英介は駄目になると思い、賛成して送り出したのである。

ホームステイ先は老夫婦の家庭で、英介をかわいがってくれた。大きな部屋をあてがわれて、ゴールデンレトリーバーが自由に出入りしている典型的なアメリカの家庭であった。

ただ、食事だけはどうしても好きになれなかった。朝はシリアルだし、夜も冷凍ものを電子レンジでチンするだけということが多かった。外に食べに行くことも結構あり、とにかく油っぽいのと量が多いのに閉口した。時に、日本から持ち込んだカップラーメンを食べるのだが、それが何ともおいしいのである。

とにかく、アメリカでは、日本の金持ちたちのもたれ合い、付き合いがないし、誰も気を遣ってくれないから、一人で食料を調達したり、慣れない英語で買い物の交渉をしなければならなかった。

しかし、それにだんだんと居心地のよさを感じるようになる。誰も、金持ちだからといって気を遣うこともせず、むしろ有色人種としての差別すら受けた。ちゃんと話さないと何も得られないし、ちゃんと伝えれば成果が得られるのが気持ちよかった。

英介は、これだと思った。これまでは周りが勝手に気を遣って何でもくれるから、何をしても達成感もなければありがたみもなかった。自分で得ることは、こんなにも充実感があるのか。それからは、毎日、出かけてはいろんな人と接触するようになった。