その日か翌日かはっきり覚えていないのですが、復食としてリンゴが少し出されたのです。それを食べたら物すごく美味しいのです。これが「頬っぺたが落ちる」というものかと初めて実感したのでした。美味しくて美味しくて仕方ないのです。
体力はみるみる復活してきます。元気が出てきます。気がついたら今まで耳の奥で聞こえていた「キーン」という耳鳴りも完全に治っていました。
世の中が光り輝いて見えるという現象はほどなく終わってしまいましたが、その強烈な感覚は残っています。
21日の信貴山の断食行は終了しました。見えない世界(神々や霊)は見ることは出来ませんでしたが感覚が鋭敏になり、何メートルも先の食べ物の匂いを感知して、体に悪いと思われるものを食べると喉が焼けるような感覚になり飲み込むことが出来なくなりました。身体が食物の良い悪いを教えてくれました。身体がきれいになると本当に自分にとっての良い物と悪い物を身体がはっきりと教えて下さるものなのだと改めて知ったのでした。
本で読んだ知識によって覚えた上での良い悪いで判断するのではなくして自然に身体が教えてくれるのです、これはすごい体験だと思いました。野生の動物も教わらなくても毒草が分かり食べないと言います。現代人はこの知恵を忘れているのだと思うのです。
私たちの身体は、本来は何も食べて良いのか何を摂るべきか、お医者様に聴かないでもきちんと身体が教えて下さるように自然(神)が作られているのだと思います。
それを回復させるものが断食行であると思いました。なるほどだから宗教では断食を重要な行としているのだと納得しました。それだけではありません、断食行によって人間は多少の期間食べなくても生きていけるのだという確信と私は断食をやり切ったという強い自信がついたのです。自分自身に対しての自信と言うのでしょうか、それは厳しい行を乗り越えた時につくものなのです。
現代の子供たちは食べすぎで病になっています。きちんとした指導者のもとに適切な断食をさせることは自己コントロールを学ぶ上でも必要でしょう。
私は、その後10数年は断食をやりませんでしたが30代の中頃から再度断食を再開して毎年長くて1週間、短くて3泊4日の断食を毎年繰り返して年を重ねてきました。現在の家内も40代の初めから短期間ながら断食を毎年続けていて、一人で信貴山断食道場に入場して修行しているのには感心します。
もちろん断食は誰でもやれるとは思いません。マクロビオティックで言えば陰性体質の血の薄いタイプの方は玄米を少しだけ食べる形の小食断食すなわち「半断食」のほうが向いていると思います。
ですから断食をするにはしっかりとした指導者について指導者の方と相談しながら「行」をすることが良いと思います。やたらに長い断食が良いとは限らないのです。年配者の方で長期断食をされて亡くなった例を知っております。
また、断食に対して不安や恐怖を持ってやりますと害のほうが多くなります。その人の心の持ち方すなわち暗示がすべてを決めていく事は何事においても同じなのです。