そんな繰り返しの日々が続き、自分がやれる不眠対策の万策が尽きた頃、私は再びめまいに襲われるようになった。

めまいの治療を始めるとともに、この眠れぬ夜に耐え続ける限界を痛感した結果、婦人科受診を決めた。最後の砦である薬物療法に頼ろうと思った。

これまで私は、健康に産んでもらったおかげで大病を患ったことがない。薬を常用する疾患もなければ、定期受診する疾患も持ち合わせていない。おかげで薬とは無縁で生きてきた。

加えて、私は保健師だ。医学的な知見を基に、今、私を苦しめている病苦は、これまでの過労が原因で起こった自律神経失調に更年期障害からくる不定愁訴が上乗せされてしまったものであると自己診断していた。つまり、病苦の原因が自律神経のアンバランスである以上、自力で調整できると安易に考えていた。だからなるべく薬を使わずに何とかしたいと考えていたし、何とかなると思っていたのだ。

けれど、神が女に与えし更年期という試練が、そう簡単に折り返せるはずもないことを嫌というほど思い知らされた。

二進(にっち)三進(さっち)もいかず、心も身体も追い込まれた結果、最終手段である受診に至った。そしてそこで冒頭の婦人科医に出会ったのだ。

まさに一期一会の運命的な出会いだった。

今となっては、私は彼との出会いに感謝している。彼のあの暴言があったから、私は目が覚めたのだ。私は冷静になれた。そして理解した。

私を骨の髄まで苦しめるこの不定愁訴や不眠は、薬や付け焼き刃の対策などの通り一遍の一時的な対応で解消するほど、単純で簡単なものではない。これらは、これまでの私自身の「生き方」が生んだ「病苦」であり、「末路」なのだ。つまり、これまでの私の生き方そのものの「ツケ」なのだ。それが彼との出会いのおかげで認識できた。