母性看護学の実習場所の確保が、少子化で出産数も減少、そのため実習病院施設を学生人数分を市内で確保できず、地方の病院に実習をお願いしていた。それらの病院での実習指導のため、長期出張を余儀なくされた。
一年の半分は、地方と市内の実習病院で学生と過ごす日々。しかし、それは私にとっては、妊産婦と新生児と学生と過ごせる楽しい日々でもあった。また、この時の地方実習を一緒に過ごした学生たちはとても優しい子たちだった。出張中も、次男の世話のため、実習が終わってから自宅に戻った。
地方と自宅を車で往来、片道百キロの真っ暗な道を走った。そんなことを週に何度もしていた。そんな生活を終えて、やっと大学の研究室に戻って残務をしていたある日、隣室の女性教授が午後八時なのに、「会議を開きます」、と言って入ってくる。またある時は、深夜0時に大量のコピーを持ちこまれ、明日までに整理するように言われた。これは、パワーハラスメントというやつだな。
しかし、夫の暴力を経験していたためか、精神的ダメージはなく(それもどうかと思うが)、とにかく仕事が多く、帰宅時間が遅い上、長期出張……。次男の学校のことを何もできない状態だった。そんな中、次男は私立中学校を受験し合格した。その学校は家から遠く、中学校まで親が送迎をしなければ通うのは無理だった。私はまたしても退職を決断した。
退職後、次男の学校の送迎を行いながら、仕事の融通がきく職場を探した。そうしたら、なんと、その条件が適う就職の話がきた。ある大学の短大部に新設される予定の学科に、設置要員教員として来てほしいと言われた。
長期地方出張もない、病院で一日中指導する臨床実習もない。そして保育士養成、子育て支援に関われる仕事だった。それは私の夢でもあった。非常勤として仕事をしていた十年間に、保育士養成機関で「子どもの保健」を担当し、子育て支援に関わる研修会講師などを通して、保育士が子育て支援に果たす役割は、他のどの職種よりも大きいと確信していた。
何より、私自身が保育園の保育士の先生に支えられて子育てができたようなものだ。保育士さんが大好きだ。その恩返しもしたい。新しい夢と希望をもって転職した。