傷
胆石のオペ直前の、診察を待っている待ち合い室の前だった。
長年生活したその地にオペ前に帰ろうと思っていた。その頃コロナは少し落ち着いていたと思っていたが、個人で県をまたぐ事は、特に東京からだと敬遠されるという現実を知った。私は長年その地に背を向けていたが、受け入れるだけの充分な時間が経っていた。空港に降り立つと、心はいつも曇り空で小さなため息をついていた。もう怖くない、大丈夫だと思っていた。
待ち合い室で長年付き合ってきた人とメールしながら、具体的に会う予定を立てていた。その人は初めての幼稚園で出来た私の友達だった。美しく気高い人の様にも見えたが、ある所では鈍感で、自己顕示欲の強い人だった。上京してからも、たまに会ったり年賀状のやり取りも続いていた。こんな状況でも私に会いたい、と言って具体的にメールで話していた。「どうせ会うなら、他のお友達にも会いたいわ」と言った後に、その人のメールが止まった。それから、私の目に飛び込んで来た文字は、
「あなたに会いたい人なんか誰もいないわ」
「私もあなたが嫌い」
そして最後は、4文字のさよなら、で終わった。一瞬、何を言われているのかわからない。が、身体はザワザワと熱くなり、ぼんやりと文字を追うだけだった。
私は呆気なく崖から谷底に落とされてしまった。何故、私があの人の感情を剥き出しにした言葉によって谷底に落とされないといけないのか、やっと行こうと思っていたその地なのに何故だ。一方的に感情をぶつける相手に、私は次第に腹立たしさとこの期に及んで何故、私が傷つかないといけないのか。私の心は、渦に巻き込まれて沈んでいくだけだった。
その地に帰る意味は無くなった。
その地には縁はないと、また私に分厚い壁が立ちはだかった。
それを機に私の頭は確実におかしくなった。
山ほど溜まった写真の整理を始めた。見る写真は、どれも愛しかったし、懐かしかった。
また、私は故郷のご無沙汰している友人や親戚に連絡を取ってみた。電話番号もあやふやな友人や親戚とは不思議と連絡が取れた。「どうしたの?」という穏やかで優しい声に胸が詰まった。電話帳をめくりながら、当時具合の悪い父の病床にお見舞いに来てくださった父の親友の先生が、今どうされているのかを知りたかった。先生が父の枕元で「おい、今のままじゃ死んでしまうぞ」と言われた言葉が今でも耳に残っていた。
結婚式に父は来れなかったが、先生ご夫妻は参列して頂いた。電話をかけてみると、先生は既に亡くなられ、今は息子さんが跡を継がれており、奥様はまだご存命だという事だった。
暫く会っていない姉に会いたかった。姉は、通訳の仕事で忙しくしていた様だ。
私は何をしたかったのだろう。何の為に写真の整理をし、皆に連絡したのだろうか。
ある日豹変した自分が居た。
髪は乱れ目付きは明らかに違った。憎しみの感情しかなかった。もうどうなってもよかった。私は叫んで泣いた。
何とか生きてきたのに、お返しが人の裏切りなのか。今まで何とか生きてきた。もう生きる事に執着はなくなった。
色々な想いを自分の中に閉じ込めて生きていく事に疲れてしまった。
結婚しなければ良かった、そもそも生まれて来なければ良かった。早く父と母に連れて行ってもらいたかった。
これ以上傷つきたくない、これ以上。
叫び泣き疲れた私は、みゅうの傍に行きごめんね、と頭を撫でながらやがて薬で眠ってしまった。
言葉はコミュニケーションを取る上で最もなくてはならないものだ。その言葉で意思疎通が出来る。言葉によって人は元気づけられたり救われたりする事もある。
だが、人を断崖絶壁から谷底に落とす様な言葉を吐いていいのだろうか。一時の感情であり得ない言葉をぶちまけていいのだろうか。
私は改めて言葉の怖さを知った。
言葉により人を傷つける事がない様に、言葉は大切に使わなければいけない。当たり前の事だ。
お母さんが叫んでる。
いつものお母さんじゃない。
薬を握りしめて僕を抱いてごめんね、って言ってる。
誰でもいいからお母さんを助けてあげて。
僕は横に居ることしかできない。