そんな私の生意気な言い分に刑部さんはごく自然にこう言いました。

「佐伯さんのおっしゃることは現代の日本における大多数のサラリーマンが多分ごく普通にもつスタンダードでしょう。ただそれは大多数というだけで全員というわけではない。

価値観は人それぞれです。あなたや他の人たちが僻地と呼ぶこの町は、ここが価値ある場所だと信じている人間にとっては、桃源郷であり聖地であり楽園でもあるのです。そういう者にとっては、価値を感じない都会での権力争いや、地位や名誉や肩書きのために骨を折り、自分を曲げ、場合によっては正義や信念に背かなければならないことは無意味なのです。

人生を長く見積もって一〇〇年としましょう。独り立ちできない幼少時と晩年を除けば、自分の本当にやりたいこと、やるべきこと、人生の使命を果たすべく人が動ける時間はせいぜい五十年、半世紀です。そんな短い貴重な期間を、世間の常識やたかだか小さいお山の大将になるために費やすなんて私にはできません。人生を棒に振るのと同じです。

ですが、これを聞いても負け犬の遠吠えにしか聞こえないでしょうね、大多数の人からしたら」

刑部さんは例の少年のような笑みをふっと浮かべて続けました。

「だが覚えておいてください。そもそも勝った、負けたという概念自体が私にはないのです。私以外にもそういう人間はいると思います。私に見えているのは私の前にまっすぐに伸びている道だけです。そこには他の誰もいません。私の前に敷かれた道を歩き続けることが私の幸せなのです」

自分の話す言葉に、刑部さんが次第に興奮してきているのが私にはわかりました。聡明そうな両目がこの世ならぬ輝きに満ち、普段は青白い頬にみるみる赤みがさしてきました。刑部さんはこの機会に一気に言っておきたいとでもいうようにさらに話を進めました。