【前回の記事を読む】街の電気屋さんを回る日々…プログラミングの道を捨てて入った会社とは?
私は営業マン──20年間の会社勤めで身につけたこと
ブラック営業に苦しんだ仲間も
私たちの時代の営業は、「売ってなんぼ」「数字がすべて」でした。NECにかぎったことではなく、どのメーカーもいまならブラック企業そのもの。98シリーズがよく売れていた頃は、まだよかったのですが、入社して何年か経って、「ウィンドウズ95」を搭載した海外勢のコンパックやIBMのマシンが日本でも本格的に売り出されるようになると、98シリーズの売上に陰りが出はじめます。
それまでダントツの人気を誇り、シェアが高かったがゆえの営業の苦しみが始まりました。売上を維持することが並大抵のことではないにもかかわらず、注文を落としたり入札で負けたりすると、たいへんなことになります。
負けず嫌いの私は、数字を残していたものの営業は本当にきつかった。営業の数字を上げるために、自社の製品を自分で購入して、自宅には商品だらけだったという人がたくさんいます。
ある営業マンが出社してこないので、上司がアパートに様子を見にいったら、首を吊っていたということもありました。面識のある営業マンが銀行強盗を起こして逮捕されたこともあります。彼が金に困った理由は、ご想像のとおり、自社の製品を買い込んで営業成績を取りつくろっていたからでした。
思い出すと、つくづく身につまされます。こうしたことは、いまもあるのかもしれません。ただ、昭和から平成の初めにはよくあった右肩上がりの日本経済の暗黒面です。それゆえ、大きく報道されることもなく、この時代がまるで日本経済の黄金時代だったかのように言及されることに、私はたいへん違和感があります。