見れば、先ほどの綺麗な娘が、肩で息をしながら自分に柔らかな笑顔を向けている。鍛冶内はびっくりして、慌てて立ち止まった。

改めて見ると、先ほどの娘に対する自分の評価が正しかったことがよくわかった。というよりむしろ、娘の持つ美しさは、至近距離の鍛冶内の瞳に、くっきりとした輪郭線を伴って感動的に刻み込まれた。その艶やかな唇の右下にあるほくろが妙に色っぽい。ほんのりと甘くて上品な香りが、鍛冶内のいる空間をやんわりと包み込んだ。

千景(ちかげ)に頼まれて、お迎えにあがりましたわ。私は乙音(おとね)です。千景の……」と、そこでためらいがちに一拍おいて、「妻の……」と言った。

旧友である千景の名前が出たことで、鍛冶内はもう一度まじまじと娘の顔を見直した。

「おじさまは足がお速いから、もう追いつけないかと思いましたわ。私は………ほら」と言いながら、自分のお腹のあたりに視線を落とした。鍛冶内も言われて初めて気付いたが、乙音と名乗ったその娘は、どうやら妊娠をしていて、白いワンピースに隠れているものの、出産までそう遠くないお腹をしているようだ。

……千景の妻……? そんなはずはない。俺は10年前に、千景と同い年くらいの相手、確か咲也子(さやこ)……と千景との結婚式に参列しているんだから。しかも妊娠中?…………。

状況がよく飲み込めない鍛冶内は、不審げな態度を乙音に悟られまいとしながら、平静を装いつつ言葉を返した。

「ああ、それは済まなかったね、乙音ちゃん。俺を追いかけたりさせて。お腹の子供に負担をかけやしなかったかな?」

「ねぇ、大丈夫……?」

乙音は自分のお腹に顔を向けて問いかけた。一拍置いてから、「今気持ち良さそうに寝ていますわ。おじさまを恨んではなさそうよ」とすました顔で返答した。その返しが面白くて、鍛冶内の顔に思わず笑みが漏れた。

「はは、それは良かった。でも今のでお産が3日くらいは早まったかもしれないね。というか、もう女の子だとわかってるんだね」

鍛冶内が乙音を馴れ馴れしく「ちゃん」付けで呼んだのは、10年前の記憶がうっすらと残っていたせいだった。千景の結婚式に呼ばれた鍛冶内は、その時点でこの乙音という娘を一度紹介されていたからだ。……ただその時は、乙音は確か咲也子の連れ子だったはず。しかも双子だったように記憶しているが……。

「さっき、千景の妻だと言ったよね? それは冗談ではなく…………本当のことかい?」

おずおずと鍛冶内が尋ねると、少し恥ずかしげな面持ちで乙音はうなずいた。

「ええそうよ、おじさま。だからお腹の子の父親はもちろん千景です。ただその千景の具合が……その…………」と言いながら乙音は口ごもった。眉を曇らせて言葉を選んでいる乙音の様子を見て、鍛冶内は何か深刻な事態が起きていることを悟った。