大学入学試験
外語大の一次試験は受験者の数が多いので、東大の本郷キャンパスで行われた。
今は遠い昔のことなので記憶が定かでないが、一次試験の筆記問題の量は田舎の高校生には気が遠くなるほど多く、易しそうな問題もあったが、とても全問は解答できなかった。それでも自分では70%ぐらいはできたかな、と独断的、希望的に推測していたのだった。
当時の田舎町には塾というものがなく、試験問題の模範解答などは得られないのが普通であった。したがって、自分がどの程度正解できたか、合格レベルに達したかどうか推定することは不可能に近かった。
国立大の一次試験の結果は、私の知る限り合格通知は来ないシステムであったので、当該大学へ合格者発表を見に行くしかなかった。
ここで、入試結果の発表を見に行った日のことを記述しておこう。
その日は3月末の、いわゆる「菜種梅雨」といわれる菜の花が咲く頃の長雨の季節によくある寒い日であった。国鉄(現在のJR)山手線巣鴨駅から当時外語大のあった東京の北区西ヶ原まで歩いて行った。
校舎の壁に合格者の受験番号が張り出されていた。自分の番号の周辺を何度も何度も探したが私の受験番号は見つからない。つまり不合格だったのだ。
意気消沈して帰路についた時は霧雨が降り出していた。冷たい雨であった。傘を持っていなかったので冷たさはひとしおであった。
巣鴨駅の近くの陸橋で、下を通る山手線の電車を眺めながら、どちらへ行くかちょっと考えていた。やはり叔父の住む池袋の家へ報告に行かなければ、と思った。というのは3月何日に入試の結果発表を見に行くと、前もって叔父に手紙で伝えてあったからだ。