専門課程に進級した一九六五年は、経済白書で戦後は終わったと宣言した一九五五年から二〇年続く高度経済成長の真っただ中だったとはいえ一般庶民の生活水準は低く、富める資本家に労働者階級は搾取されているという共産主義の構図は、実経済を知らない学生には単純に納得できた。ゼミの友人の下宿先での民主青年同盟への勧誘も就職の際の不利を意識しながらも共産主義こそ正義と思い即決した。これが退職後思わぬ形で跳ね返って来るとは思いもよらなかった。

ところでマルクス主義の根幹をなす労働価値説やヘーゲルの弁証法

「矛盾の相克により物事は進歩する。すべてのものは自己矛盾(正と反)をはらんでいるが、それらを否定せず深めていけば、より高次のものへ昇華されていく」

という考え方は、仕事を進めるうえでも大いに役立った。

仕事と家庭――寝耳に水

私は一九六七年大学を卒業し中堅の自動車メーカーに入社した。配属先は航空機工場の工務課生産計画係で戦後初の国産機YS一一など民需を担当した。

そのうちYS一一が大赤字であることが分かった。多分前任者もそれを承知の上で業務を遂行していたのだと思ったが、民需の健全な体質構築のためには外注して黒字化を図るべきだと進言した。そして計画を立案した。

本社から事業部長が出席され会議が催されたが一言も発言できず、会議中退席して良しと言われ、すごすごと肩を落として退席した。その働きが認められたのか本社の航空機部業務課に戻されたが、経理に疎く又電話で仕事を進めるには力不足であった。