【前回の記事を読む】高校の授業で読んだ絵本『はじめてのおつかい』に込めた2つのメッセージ

第1章 おつかいとは?

6 母の御遣い

母から、夏になるとよく聞かされたエピソードがあります。

母が小学3年生の頃というので、終戦の翌年頃のことだと思います。私の母は1938年(昭和13年)生まれ。愛知県海部郡立田村(現:愛西市)の農家の離れに一家で暮らしていました。戦争で祖父は亡くなり、未亡人の祖母の元に母を含む5人の子どもが残されました。その5人兄弟の真ん中が母です。上に姉・兄、下に妹・弟がいました。

夏のある日、遠い親戚の兄弟が訪ねて来たそうです。高校生の男の子とその兄。2人は井戸で冷やしたスイカを美味しそうに食べると、近くの木曽川に、「泳ぎに行く」と言って出かけて行きました。

暫くすると、木曽川で子どもが溺れたと、村中が大騒ぎとなったそうです。亡くなったのは、ついさっき目の前でスイカを食べて出て行った高校生……恐らく、それだけでも幼心に十分ショックな事件だったと思われますが、有無を言わせぬ事態が発生するのです。母は、名古屋の親戚にこの事故を知らせる「使い」に出されることになったのです。

当時は電話など各戸に普及していません。ましてや自家用車など……人が出向いて行って、このことを伝えるしか術が無かったのです。兄弟の家は隣の津島という町で、そこへは大人が連絡に行ったのでしょう……しかし、その他の親戚にも手分けして連絡しなくてはなりません。母は、こんな重要なおつかいの一端を担わざるを得ない状況になってしまったのです。

子どもの足で歩いて30分ほどの佐屋駅から名鉄に乗って3駅先の弥富まで行き、そこで近鉄に乗り換えて名古屋方面へ8駅。そこから更に30分ほど歩くという道のりです。母の暮らしていた立田村はレンコンの産地で、田圃の中に農家が点在する典型的な農村でした。普段の生活の中で、恐らく村の外に出ることのなかった小学3年生にとって、1人で電車に乗ること自体が大冒険だったに違いありません。

更に、伝えに行く事態の深刻さ……母は不安と緊張のあまり降りる駅を間違えてしまったのです。黄金駅が最寄りでしたが、隣の米野駅で……漢字で書けば全く違うのですが「こがね」と「こめの」。音で覚えていた小学生にとって……この駅が隣り合わせだったのは酷でした。