母は見慣れぬ風景の中、親戚の家の方向に見えていた「火葬場の煙突」だけを唯一のたよりに、ただただ歩き続け、ようやくたどり着いた時には涙で言葉も出ず……という状態だったそうです。この話は夏になると度々母から聞かされました。暑い季節になると心細かった気持ちを思い出して、吐き出していたように思います。だから私の心にも残ったのでしょう。

「訃報を伝えに行く」という行為は平仮名の「おつかい」ではなく、漢字で「御遣い」と書くべき行為であったように思います。終戦直後のおつかいは、子どもにとって、いきなり大人並みの仕事を要求される厳しいものであったと言えます。

第1章 まとめ

挑戦の場を失った子どもたち

『おつかいありさん』(関根榮一作詞、團伊玖磨作曲)という有名な童謡があります。

あんまり いそいで こっつんこ ありさんと ありさんと こっつんこ あっちいって ちょん ちょん こっちきて ちょん

あいたた ごめんよ そのひょうし わすれた わすれた おつかいを あっちいって ちょん ちょん  こっちきて ちょん

視線の低い幼児にとって、身近な存在のアリ。そのチョコチョコと歩く様子を、おつかいに行く子どもと重ねた童謡で、1950年(昭和25年)に発表されました。終戦から5年の日本は、多くの働き手を失った混乱期だったと言えます。そして今よりも遥かに多い兄弟がいる家庭において、年長の子どもがおつかいに行く姿は、アリと同様に珍しい姿ではなかったのでしょう。

今では、アリはまだまだ幼児の身近な存在ですが、おつかいに行くお兄さんお姉さんたちの姿は街で見掛けません。そんな現代で、この童謡はすたれてしまったのかというと、そんなことはないのです。動画投稿サイトを覗くと、新しい手遊び動画が続々と投稿されており、今も保育の場で盛んに歌われていることがわかります。

ただ、子どもたちにとって、歌詞の中の「おつかい」は意味不明の単語であるに違いありません。