【前回の記事を読む】パリ最後のサロン女性主催者の一人、ナタリー・バーネイの数奇な人生
書店経営者 Sylvia Beach
シルヴィア・ビーチ1887.3.14 ボルチモア─ 1962.10.6
パリマリーの友人であったジェイムス・ジョイスの小説の『ユリシーズ』がアメリカで猥褻文書とされ発刊できなかったものを1922年に出版したのが、パリの「シェイクスピア・アンド・カンパニー」書店の経営者シルヴィア・ビーチでした。
メリーランド州ボルチモアで牧師の子として生まれたビーチは、1901年アメリカ教会に赴任した父親と初めてパリに来ます。
1905年プリンストンに戻ったビーチは、1917年フランス文学を勉強しに再び渡仏。第一次世界大戦中は妹とともに志願して看護師となり、セルビアへ赴きました。
1917年、パリでフランス詩を研究していたビーチは、マリーの親友であったアドリエンヌ・モニエの「本の友の家」を知ります。モニエに招かれたビーチはここで作家たちの仲間となり、幼少の頃に描いていた書店を開きたいという夢を思い出します。
フランスにアメリカの作品を紹介する目的で、モニエの協力を受けて1919年「シェイクスピア・アンド・カンパニー」を設立、1941年の閉店まで、アーネスト・ヘミングウェイ、スコット・フィッツジェラルド、そしてマリーの古くからの親友ガートルード・スタインもこの店で多くの時間を過ごします。
第二次世界大戦ではパリに残っていたアメリカ人共々、1943年ヴィッテルの強制収容所に入れられますが、ナチスの他の強制収容所とは異なり、保養地ヴィッテルの高級ホテルを収容所としたものでした。