第五章 二人の子ども

樹里は表情も豊かになり、一歳の誕生日には歩き始めた。オムツが濡れると気になり、「出た」と教える。結局一年半でオムツを取ることができた。手のかからない子だった。

結里亜は、休みの日に樹里を連れて近くの公園に行くのが唯一の楽しみだった。おやつと飲み物を持っていき、公園のベンチで食べる。樹里は自分のおやつを「どうぞ」とうれしそうに分けてくれる。ブランコ、鉄棒、ジャングルジムで遊び、帰り道は、二人で歌を歌いながら帰るのだ。疲れても「抱っこして」と言うこともなくよく歩いた。

それから二年後、二人目の子どもはお腹の中で順調に育っていた。だが、八カ月に入った頃、結里亜は切迫早産になりかけ、四日間入院をした。退院後、結里亜の身体を心配した恭一は、

「畑の仕事が忙しいと思うけど、お茶の時間やその後でもいいから一度結里の様子を見に家に戻れないかなあ」

と澄子に言う。

「お昼には帰るから、それでいいでしょ」

と澄子。

「食事の用意も結里がやっているわけだし頼むよ」

と恭一が言うのだが、

「今、ぶどうが忙しい時期だから無理だよ、具合が悪くなったら救急車で行けばいいでしょ」

と澄子が半分怒った口調で言った。そのやりとりに我慢できなくなった恭一は、

「もういい、二度と頼まない」

と強い口調で言った。結里亜は、ここで揉めごとになっては困るのですぐに切り出した。

「大丈夫、いざとなったら自分で救急車を呼ぶから」

と。さらに、

「それに、何かあったらなぎさちゃんに連絡してみるから大丈夫」

と結里亜が二番目の妹の塩野なぎさの名前を言うと、

「そう?それならなぎささんに頼んでみて」

と澄子が言った。一緒に仕事をしている貫一に気を使って、そう答えるしかなかったのだろうと結里亜は自分を納得させた。

次女の(あや)()が生まれて池上家はにぎやかになった。樹里は母乳で育てることができなかったので、彩奈を母乳で育てたいとずっと思っていた結里亜だが、どうしても夕食の用意の頃はぐずることも多かった。仕方なくまだ首が据わっていない時期からおぶって食事の用意をした。貫一と澄子は食事の用意ができるまで居間でテレビを見ている。

「粉ミルクなら私たちがあげられるのに、出ているのかわからない母乳を飲ませようとするのはやめたら」

と澄子。こんな時は澄子に食事の用意をしてもらいたいと結里亜は思ったが言えなかった。ストレスから母乳はいつのまにか出なくなっていた。

そう、この家は子どもより義父母のごはんが最優先なのだ。ぶどうの仕事がオフの時期は、貫一は茶の間でパソコンを開き麻雀ゲームをしていた。澄子は部屋に籠って墨絵を描いている。食事の用意ができると二人を呼びに行くのが決まりのようになっていた。