【前回の記事を読む】男性の確率は20人に1人。知覚されづらい「色覚特性」のUD事情!

聴覚障害について

『「音」を見たことありますか?』という漫画を読みました。漫画は気軽に読めて誰かの不便に気づける自分になれるとても優秀なツールです。この漫画をきっかけに、アリコさんに、手話ができる聴覚障害者はどれくらいでしょうと聞きました。アリコさんは、半分は超えているだろうと言いましたが、実際は1割程度なのだと話すと驚いてこう言いました。

「そう言われてみたら、うちのお父さんも補聴器付けとんのに、聴覚障害者や思てへんだ。よう考えたら、お父さんが今さら手話を習うはずないのに。聴覚障害者って言われた時に、生まれつき聞こえへん人しかイメージできへんだ自分にショック。おまけに、手話通訳がいればほとんど通じてると思ってたし」

高齢男性には、聞こえづらい事を知られたくない人は多く、手話を習う人も多くはないそうです。私は長い間、講演会などに「要約筆記」と「手話通訳」の両方が準備されている事を不思議に思っていました。文字化されたものがあれば、手話は不要ではないかと思っていたからです。

何人かの人に聞いてみても、手話は手話で必要なのだと言うばかり。そこで何人かに話を聞いた末に、手話が必要なのは、言葉を覚える順番に理由があるのではないかと思うようになりました。

赤ちゃんは、最初にマンマというような言葉を耳から覚えて話し始めます。でも聴覚に障害があると、耳から言葉を覚える代わりに身振り手振りでの会話を先に覚えます。誰だって、最初に文字を覚えたりはしません。こうしてその後に手話を身に付けた人にとっては、手話が第一言語となります。

そして手話には、「てにをは」が無いだけでなく日本語と並行する別の言語であると言ってもよいほどの違いがあると言います。例えば「伊藤」という言葉は、「い」という手話と、垂れ下がる「藤」という手話になるらしく、ひらがなで書く「いとう」とは別物です。このような違いがきっとたくさんあるのでしょう。