(1)入り江の海
日のあたる入り江の奥に、赤い鳥居が立っていました。波がよせてくると、鳥居の影は、水の中でゆらゆらゆれてくずれていきます。水底の砂に、すきとおったお日さまの光の網がもつれあって、キラキラ、キラキラ、キラキラ。
さっきから、ブリの坊やがかぁさんとかくれんぼ。
「かぁさんのだいじなぼうや、どこへいってしまったのかしら」
坊やは、波のおだやかな岩場から入り江の奥のあたりまで、いちもくさんに泳いでいき、ゆらめく鳥居の影のなかで、じっと息をひそめます。遠くのほうからかぁさんが、しっぽを右に左にうごかしながら、ゆっくり、ゆっくり、近づいてきます。
かぁさんからずっと目をはなさないでいる坊やは、少しでもかぁさんと目が合ったりすると、もう、むずむずとうれしくなって、あぶくをいっぱい、ぷくぷくぷくぷくぷくぷくぷくぷく。ころっとしたカラダのまわりに集まったあぶくは、水の輪といっしょに広がって、さざ波のなかに消えていきます。
かぁさんは何も気づかないふりをして、あたりにゆらゆらゆれる海草のなかをさがしはじめたりします。坊やはもうこれいじょう待ちきれません。「ふふふ」とうとう小さな笑い声をたててしまって。
かぁさんこっちむいてくれるかなぁ? こんもりとふくらんだほっぺが、ますます、コリッともり上がり、まるくてキロリとした黒い目が、三日月のようにほそくなって。
そんな坊やのよこ顔をかぁさんは、はなれたところからそっと見ながら、もう少しだけがまんして、気づかないふり。坊やはかぁさんから、片時も目をはなさずに、こんどは小さな銀色のおなかを、キラッ、とひるがえしました。そして息をひそめています。
しかし、「へんねぇ、やっぱりさっきの岩場のほうだったのかしら」
なんと、かぁさんは、はなれていこうとするではありませんか。
「あッ、かぁさ~ん、こっち、こっち! はやくボクをみつけてぇ~!」
坊やは思わず叫んでしまいました。かぁさんはくるりと向きを変え、すばやく鳥居のほうへ。あぶくの中でわくわくしながらまち続けていた坊やを、しっかり抱きしめました。坊やの小さな心ぞうが、コトコト、コトコト、かぁさんの胸に伝わってきます。
「かぁさんのだいじな、だいじな、だいじなケンちゃん」
波の静かな入り江の海は時間も季節も止まったかのように、毎日がゆっくり、ゆっくりと過ぎていきました。