その原因は、政府の国家運営の仕方が、あまりにもひどすぎるからに他なりません。単純に考えればわかると思いますが、今国家予算は毎年増え続ける社会保障費が原因で急激に膨れ上がっています。

一九九九年には、十九兆二千億円だった社会保障費が、今では約三十六兆円にまで膨れ上がってしまいました(①の図参照)。これは、老人の年金や介護費用が、彼らが納めた社会保障費を積み立てて運用したところから出ているわけではなく、今元気で働いている若い世代が納めている保険料から支払われているからです。社会保障制度ができたばかりの頃は、まだ老人の数が少なく、こんなやり方でも良かったのでしょうが、現在の少子高齢化が進んでいる日本では、毎年年金を受け取る老人の数が増え続け、反対に納めるべき若い世代の数が減り続けています。つまり財政の悪化は、そもそもこの社会保障制度自体に問題があるのです。

問題は、この制度を残すのか変えるのか、それによってとるべき政策が変わってくるのですが、それがはっきりと決め切れず、歴代の政権はいつも中途半端な対応しかしてきませんでした。このため、いつの間にか日本は、肝心な時ほど金を出し渋る割に、国の借金だけがズルズルと増え続けてしまっている、残念な国家になり下がってしまったのです。

[図①]

日本の本質的な問題はココにあります。昔からいわれてきましたが、経済一流、政治三流。日本はバブル経済が弾けた一九九〇年代、民間では激変する社会の変化に合わせ、様々な改革が行われてきました。時には日本の高度経済成長を長年支え続けた終身雇用、年功序列といった制度でさえ、必要であれば遠慮なく手を加え、その時々で起こる様々な問題を日本の企業は乗り越えてきたのです。

しかしこの時、社会の全ての改革が行われたわけではありませんでした。政府が行うべき「少子高齢化」と「社会保障制度」の改革は、選挙を気にして三十年経った今でも、いまだ全く手つかずのままなのです。これにより、徐々に国の財政が悪化していき、それに伴って日本の経済力も少しずつ消費税によって削られてきました。そして現在、その影響で日本経済のいたるところで問題が起き始めています。