「大変お待たせしました」
彼女は変わらない優しい目をしている。
「あっ、いえ。書き直してきましたので、印鑑はこれでいいでしょうか？」
彼女は幸太から印鑑を受け取ると、白紙に印を押して、登録していた印鑑のコピーと照らし合わせた。
「はい、これで合っています。ではここに押してください」
幸太は書き直した払い戻し用紙に押印した。彼女は用紙と通帳を幸太から受け取ると手続きを始めた。幸太はソファーに戻り、目で彼女を追いながら考えていた。確か彼女は
「大変お待たせしました」
と言うたな。大変ということは、俺がずっと座って待っとることに気づいとったということじゃろ？ それに俺の番号を言う前に、席を外してパソコンの前に行ったのは、俺の登録用紙を打ち出すためじゃなかろうか？
待て待て、ということは俺のことを彼女に強く印象づけた、ということじゃなかろうか？ そう考えると自然に頬が緩んでくる気がした。が、慌てて両手で自分の頬を押さえた。やばい、また気色悪いと言われかねん。都合のいいように考える幸太の、楽天的な性格がよく出ていた。
「矢吹様」
再び彼女に呼ばれた。
「手続きが終わりました。通帳と振り込み用紙の控えをお渡しします。ありがとうございました」
「あっ、どうも。あの……」
「何か？」
幸太は彼女の名前を知りたくて、視線を胸の名札に向けた。
「いや、こちらこそありがとうございました」
と頭を下げた。彼女も幸太に笑顔を返した。
五月の澄んだ空気が開いた窓から入ってくる。だがそれをかき消すような騒音が聞こえてきた。近所で道路工事をしているのだろう、アスファルト舗装をうがつ、重機のガガガゴゴゴという音だ。
幸太は自分の部屋のベッドに仰向けになり、両手を頭の下に組んで目をつむっていた。佐々木さんというんか。下の名前は何じゃろ？
惚れた。ふたりだけで会いたい。どうしたらええじゃろか？ 今の幸太には外の騒々しい音も、重厚な交響曲のような響きで聞こえてくるのだ。幸太はいろいろ方策を考えてみた。銀行に知り合いはおらん。俺の友人らにも、あの銀行と繋がりのある奴がおるとは聞いたことがない。思い切って銀行に電話をして呼び出してもらおうか？
だめじゃだめじゃ、受けた人に「ご用件は何ですか？」と聞かれるかもしれん。たとえすんなり繋いでくれても、彼女は俺のことをよう知らんけえ、断られるに決まっとる。幸太は激しく首を振った。
いっそ仕事帰りを待ってみようか？ 偶然会ったようなふりをして。いけんいけん、まるでストーカーじゃないか。何を考えとるんか？ 俺は。今度は自分の頭を叩いた。
