10歳の秋。キミは私の前に、新しい壁を連れてきた。それは、4回目の手術の選択。
「もう自分のことが分かる年齢だから、姫花が決める必要があると思う」
主治医の先生も、診察室で一緒に話を聞いた母も、決断を私に委ねた。体のためには受けた方がいいというのはもちろんの上で、その先のリスクについても考える必要がある。心臓を一度止めて行う手術は、100%成功して元の生活に戻れるとは言いきれない。予定通りに進まないことは、3歳の時にも経験していた。
「受けるよ。したほうがいいんでしょ?」
最初は、特に考えていなかった。入院生活は嫌いじゃないし、学校を長く休めるという特典もつく。気分はまるで、宿題のない夏休み前だ。家族や友達としばらく離れるのは寂しいけど、退院したらまたたくさん話すことができる。
しばらく考えて、でも、と思った。もし、その日が来なかったら。ずっと退院できなくて、病院のベットの上で過ごすのが当たり前になって、学校に通えなくなるかもしれない。手術中に何かあって、もう一生話すことができなくなるかもしれない。寝て起きたら来る明日が、手術を選んだことで、当たり前ではなくなるかもしれない。
「それなら、手術はしない。今のままでいい」
「分かった」
母は私を否定しなかった。不安から逃げられたような気がして、ほっと息をついた。
決意は、ある日突然降ってきた。例えば空から、車の後部座席に。
「やっぱり、手術する」
運転している母に、正しくはそれに揺られている自分に聞こえるように呟く。手術を受ける、手術を受けたい。まだ手もとに落ちてきたばかりの言葉を、頭の中で繰り返しながら。
「なんで?」
「なんとなく、大丈夫だと思ったから」
「そっか」
大丈夫だと思う。それはとても難しくて、あっさりと通り過ぎていった。私の手術は絶対に失敗されないとか、絶対に死なないという自信に満ちたわけではない。よく分からなくて、成功するかもしれないし、元気になるかもしれないし、明日が来なくなるかもしれないけれど、大丈夫な気がする。私のなんとなくを代弁してくれる言葉は、きっと教科書には載っていない。
「姫花ね、手術するんだー!」
「そうなんだ、姫花ちゃんは強いね。何か話したいことあったら言ってね」
「うん。でも全然平気だよ!」
通い始めて4年がたった学童クラブで、仲良くなった指導員の先生に呑気に話す。笑っていれば、不安にならないような気がした。そのうちに、珍しくて、私にとっても7年ぶりの手術の話が、昨日食べた夕飯のように親しく感じるようになった。