長期間『半童貞』だった私
私は今ちょうど還暦である。でも、還暦祝いはしていない。私の兄や友人たちはやったようだが、そんなお祝いをして何が楽しいのだろう? 私の辞書には『老化』という文字はないことにしている。
「歳を取ることは決して恥ずかしいことではない」と、カッコつけて言う人がいるが、私はいつも恥ずかしいと思っている。
公の場は除くが、特に海外で私はよく年齢をごまかしている。自ら年齢詐称はしないが、五十歳ですかと聞かれれば、ハイそうですと答えている。私は今六十歳であることを認めない。異性に興味がある思春期の青年である。
日々『青春』していれば、還暦祝いは不要である。ところで、当時の私は五五歳。一年前に妻と別れたばかりの一人暮らしだった。
三七歳で結婚し子供ができた後、すぐにセックスレスへ。私はこのような夫婦の関係下にあっても浮気一つせず、さらにフーゾクにも全く行かず、『マジメ』に生きてきたのであった。でも、その『マジメ』さが、どれだけ後の私を苦しめることになったことか……。言わば、『正しい方向に間違ってしまった』のであった。
タイのパタヤで再度経験するまでのおよそ十七年間、私は『半童貞』であった。壮年男性として使うべきところを長期間使わないでいると、どうなるか? 私は浮気やフーゾクの経験をしなかったことを、心から『反省』した。
ここでの久しぶりの女性とのスキンシップは、この上ない感激であったが、どうしても『ダメ』だった。完全に回復するまでに、最初のパタヤへの旅から始めて、約十か月かかるということになった。この話は、いかにして『あの頃の自分』を取り戻し、そして『自分らしく変わる』ことができるか、そこに必死で立ち向かったオジサンの物語でもある。
タイ人美少女ミーとは、二度目のパタヤへの旅の最中に出逢った。これは『刹那的な恋』、矢沢永吉的に言えば、『二四時間もたない恋』と言えるかもしれないが、私はこれと本当の恋愛との違いが分からない。
元妻とは本当の恋愛の末に結婚したつもりだったが、今では全く違う認識に変わってしまっている。一方、ミーとは一夜限り(実際は二日間)ではあっても、賞味期限切れ間近の私を再度『オトコ』として呼び起こしてくれたので、言葉で言い尽くせないくらいとてもとても感謝している。