【前回の記事を読む】ナンパ、ギター、バイク…55歳にして「青春する」ことを決心したワケ

『青春』のイメージとは?

一、ナンパ……さすがに、この歳で渋谷駅や原宿の竹下通りで声はかけられない。ところで、恋愛や結婚に関して年齢を気にするのは、日本人特有の感情だというのはご存知だろうか? 現在シドニーに住んでいる私の友人(十歳下で、スキー場で知り合った女性)は、この感覚は異常だとよく言っている。そこで、思い切って親日の国であるタイとフィリピンに出かけることにした。もちろん、お金は使わない(チップを除く)。もしそれをやってしまったら、『青春』ではなく『買春』になってしまうから。

二、部活で友人たちと汗と涙を流す……大学生の時に、某体育会系のスポーツと並行してテニス同好会(サークル)をやっていた。その後も細々と続けてはいたが、本格的に青山にあるテニスクラブに入会することにした。『白球』ではなく、『黄球』になってしまったが(笑)。

三、バンドを組んでロックンロールを演奏する……小学生の頃は鼓笛隊に入っていて、小太鼓をやっていた。ピアノは嫌いで、いやいややらされていたが、小太鼓は好きで、いつかドラムをやってみたいと思っていた。そこで、体験レッスンの後、ミュージックスクールでドラムを習うことにした。そして、バンドライブにも出演し、アメリカンハードロックを演奏することにした。

四、バイクを乗り回す……大学生の時に中型自動二輪の免許を取得していたが、乗る機会がなかった。『親日の国』へ一緒に出かけることになる友人に勧められて、海外でバイクを借りて思いっきり乗り回すことにした。

ところで、この四つの中で中心となるのはどれだろう? 私は間違いなく一の『ナンパ』だと思う。

スポーツ(野球やサッカー)で頑張るのも、楽器(ギターやピアノ)が上手になりたいのも、バイクで大音量とともにスピードを出してかっ飛ばすのも、結局のところは女の子に『モテたい』ためである。

もうかれこれ三十年も前になる話だが、私の好きな谷村新司(元アリス)がこう話していた。子供の頃自分は太っていて、女の子に全く相手にされなかった。音楽を始めたのは、ただ女の子にモテたいためだった、とぶっちゃけトークをしていた。

余談だが、動機などというものは、不純で大いに結構。その後、世界的な名プレーヤーになったり、一流のミュージシャンにでもなれば、始めた動機なんぞ、へでもない。

話を元に戻すと、家を飛び出し(五四歳)て数か月が経ち、日々の生活も精神的にも落ち着いてきた頃(五五歳)、一の『ナンパ』、つまり、若い女性と仲良くお付き合いすることを目指すことに決めた。そうする中で、二~四、も併せて検討していくことにした。

ところで、私が新卒で某保険会社に入社した頃、その保険会社のPR用ポスターに、プロテニスプレーヤーの井上悦子が起用されていた。大学生からテニスをやっていた私は、そのポスターが大好きであった。黄昏の夕陽をバックにしたその姿は、むしろ眩しくさえ感じられたが、そこにこんなキャッチコピーが書かれていた。

『賭けるものがある限り、「青春」!』

今からもう四十年近くも前のことだが、自分にとってあのポスターの印象は強烈であった。あのキャッチは一体誰が考えたのだろう? まさに、その通り。