『青春』のイメージとは?
まず、『青春』のイメージとは、何だろう?
一、ナンパ(街角などで女の子をひっかける)
二、部活で友人たちと汗と涙を流す(『白球』を追いかけ、甲子園を目指すなど)
三、バンドを組んでロックンロールを演奏する(文化祭のヒーローとなる)
四、バイクを乗り回す(『ヒール』となって人目を引く)
これらに共通するのは、エネルギーがあり余っていることと、カッコつけたいということであろう。
私はいわゆる『青春時代』と言われる高校生(プラス浪人生)だった十五~二十歳の五年間、このような『青春』らしいことは何一つやって来なかった。
主な理由は三つ。
一つ目は、進学校に通っていたため、日々勉強のみに明け暮れていた。二つ目は、遊んだり、趣味に時間を割いたり、好きなことをしたりすることに罪悪感を覚えていた。三つ目は、私の通っていた高校は田舎の男子校であり、おまけに自転車で通学していたこともあり、若い女の子と触れ合う機会が皆無だった。今になって振り返ってみると、青春しなかったことが、まさに私にとっての『青春の蹉跌』となった。
私の父は高校の教師(日本史・英語)で、母は教育ママ(今では死語か?)であった。私は小学生の頃から、多くの習い事をさせられた。書道、ピアノ、算盤、スキー、卓球、ボーイスカウト、家庭教師等々。家庭教師に関しては、あの時代でしかも田舎だったにもかかわらず、小学校四年生から教わっていた。
高校生の時は、数学と国語(小論文専門)の二人の先生がついていた。大学生になってからも、その『クセ』が抜けず、同好会・サークル活動には属さず、ある体育会の運動部に入部して、『マジメ』に学生生活を送った。更に、某保険会社に入社してからも、年間四千時間も働き(もちろん、違法)、月に一、二日しか休みがない時も多かった。
その後、三七歳で結婚したが、相手(元妻)はフランスの有名ファッションブランドの日本国内のモデル候補にまでなった美人だった。誤解のないように言っておくが、これは自慢話をしているのではなく、大失敗の実例としてお話がしたいだけである。詳細は後述する。
幼い頃から母は、「こんな田舎にいたってダメ(母は幼い頃は大田区の高級住宅地に住んでいた)。一生懸命勉強し、いい大学に入り、東京の大きな会社に就職し、いっぱい給料をもらうようになれば、いくらだって綺麗な女性と結婚できるんだから……」と言っていた。
年端もゆかない私の勉強のモチベーションを上げるために、オンナを使うとは……。でも、確かにこれは一定の効果はあった。