幸せの兆しは、予想もしていないところからやって来る。来てほしいと藻掻いている時には来ない。兆しが見えたら、捕まえておく努力をしなければならない。しかし、幸せは努力をしないと繋ぎ留められないものだろうか。自然と幸せになれる人間がいるのに、努力をしないと幸せになれない人間がいるのはどういうことだろうか。
だから人は運命やら時代のせいにする。自分ではどうしようもない存在を認めることで、自分を許そうとする。そうでないと、今日一日、厳しい風の中で立っていられない。結愛は、賭けに出た。しかし、それは誤算でしかなかった。
「どうして、ワオさん……」
結愛はひたすら、パウンドケーキをフォークで刻んでボロボロにした。西日は、いつの間にか夜の闇に消えていった。
「先生、このSNS見てください。この人、何で王様のチョコレートケーキを持っているんですか。生徒じゃないですよね」
麻里那から結愛にメールが来たのは、それから10日ほど経ってのことだ。
父と面会した翌週、ワオは何事もなかったかのように現れ、相変わらず飄々とした態度で菓子作りを習い、レシピ本のイラストサンプルを持参した。結愛を責めることもせず、いつも通りの明るさで結愛の心を温めた。
その時に教えたのが、王様のチョコレートケーキだった。細かい作業が得意だと言うワオは、見事に複雑な飾りを作り上げた。これなら次回はくるみのパンケーキを教えてあげられる、そう伝えた時にワオは結愛に抱きついて跳ねた。そして、大事そうにケーキを抱えて帰った。いつもは二人で食べることが多いのだが、この日は違った。
「どのSNS? あのケーキは、いつものクラス以外では父の喫茶店で出したくらいだけど、それも2か月前だし……」
そう返して、麻里那から送られてきたURLをクリックすると、ブリーチした明るい髪の女性の写真が目に入った。結愛の生徒ではない。その女性は手を広げ、結愛の王様のチョコレートケーキを得意そうに見せびらかしている。
「夫が通っているお菓子教室で、すんごいケーキを作って持ち帰ってくれたよ♪ 娘ちゃんも大喜び♪ 次は幻のパンケーキだって、楽しみすぎ!」
結愛は頭がじわっと締め付けられた。脳がレモンのようにスクイーズされるようだ。見たくないのに、確かめなければという義務感と、奇妙な好奇心が交錯し、「MIKARU」という女性のプロフィールを見た。