露わになった苛立ち

彼女は最初の6カ月は何とか我慢した。愛想は良くなかったが、入院生活には特に問題はなく服薬もきちんとしていた。しかし、入院時に「早ければ6カ月」と言った私の言葉が効力を失った頃から、彼女は苛立ちを(あら)わにするようになってきた。

「こんなの無理、私は好き嫌いが多いのよ。自分の家だったら好きなもの食べて栄養つけて早く治るのに、味は悪いし冷めているし、とても食べられない」

彼女の怒りはまず病院食に向けられた。配膳する看護助手に咳き込みながらまくしたて、結局半分近く残して夜中にこっそりインスタント麺などを食べる日々が続いた。

熱心な栄養士が何とか彼女の口に合うものをと希望を尋ねに来ても、スパゲティボンゴレ、カルパッチョとか、彼女が少し前に暮らしていた世界に存在したものを挙げるばかりで、とにかく「口に合わない」の一点張りだった。

確かに病院食は改善されたといっても、食欲をそそるものではなく、栄養は計算されていてもそれは全部食べた場合のこと。「食事制限はないから、何でも持ってきてもらっていいよ」と伝えると、彼女はようやく矛を収めた。

彼女の怒りはいろいろな方向に向かった。

「毎日入浴したいし、もっときれいなお風呂に入りたい」

これももっともで、タイル張りの古い浴室は隙間風が吹き込んで寒々とし、男性と女性が日替わりに使い、およそきれいとは言い難かった。

「病院は禁煙なのに地下や病院の裏で隠れて喫っているオッサンを何で怒らないの。そばを通るだけで臭くて気分が悪くなる」

これもその通りで結核の入院患者に喫煙者が多いのは事実で、彼らは煙草が喫えるまで回復すると喫煙し、病院側も隠れて喫って火事を出されるよりはましと見て見ぬふりをしていた。

「何で部屋の入り口がカーテンなのよ。オッサンらが通りがかりに隙間から覗いていることを知っている? プライバシーはどうなっているのよ」

これもごもっともで、私も赴任当時から違和感を覚えていた。昔の結核病棟は長期入院患者が多く、入り口をドアにすると閉め切って飲酒や博打(ばくち)などよからぬことをするためカーテンにしたと古株の看護師から聞いた。

確かに今の常識からは信じられないことが結核病棟には残っていた。これも女性部屋はアコーディオンドアにすることを約束した。彼女の指摘に改善できるところは改善し、できないところは何とか彼女をなだめる日が続いた。