条件付きで外泊OK

喀血が始まったのはその頃で、喀血の回数が増えると怒りは鳴りを潜めた。血管の塞栓術(そくせんじゅつ)や手術など身体を触る処置に拒否を貫いているうちに、やがて喀血は遠のいていった。

「ね、何もしなくても止まったでしょ」

ある日の回診で彼女は勝ち誇ったように言った。

とにかく炎症反応を抑えて熱を下げ、食欲を出し、体力を回復させる意味で通常は結核に用いることは躊躇(ちゅうちょ)するステロイドを短期間投与し、さらに抗結核薬としては承認されていないが効果があるニューキノロン系抗菌剤の投与を開始したところ、血液所見と全身状態にわずかずつ改善が見られるようになった。だが、耐性結核菌は手ごわく、排菌は続き胸部レントゲン写真にも目立った改善は認めなかった。

彼女のストレスは再び増大し極限に達して感情の起伏は大きくなった。

「なんで治らないのよ。いつまで入院すればいいの。もう嫌、私もう帰る。なんで私がこんなところにいなくちゃいけないの、不公平だわ。どうして、どうしてなのよ」

面会者が多い日曜日の夕方に彼女は決まって興奮し泣き出した。この頃、入院当初は週3回来ていた彼の姿を見かけることが少なくなっていた。彼女の精神状態はもはや極限に達していると私は考え、

「排菌しているし、本当は外出や外泊はだめだけれど、出歩かないことを約束してくれるなら、外泊OKにしてみようか」と彼女のご機嫌をとるように苦し紛れに口にした途端(とたん)、こわばっていた彼女の表情が初めて(ゆる)んだ。

早速その週末に迎えにきた彼の車に携帯用酸素ボンベを従えて乗り、彼女は外泊した。

今、その「カレシ」の顔は思い出せない。

彼は面談に同席したことはなく、回診の時にい合わせても質問してきたことはなかった。