【前回の記事を読む】積もる羨望…建築学部の学生が海外渡航のためにとった「意外な策」とは
Ⅰ ヨーロッパ
(二)イアエステ
ネットで調べてみるとイアエステ・ジャパンは今では一般社団法人 日本国際学生技術研修協会となって、参加大学も賛助法人も大幅に増え、太田氏は長らくその理事長を務めているようだ。彼は大学に残って長く土木学科の教授をやっていたのだ。
この事業にあっては、交換学生を実習生として受け入れ、その間の滞在費を負担してくれる賛助会員の企業を多く募る必要があったのでなかなか大変だった。
夫々の国の支部が実習生受け入れのオファーを持ち寄って集まり、そのオファーを交換し合うというものだから、自国で用意できた受け入れ人数に見合う数の学生を送り出すことができるわけだ。
太田、池田の両名を中心に苦労して集めた受け入れオファーを携えて、その両名が渡航して交換会に臨んだ。そして交換したオファーを持ち帰ったのは、オリンピックの狂騒の収まった頃だったと思う。
今思い出してみても、オリンピックの記憶はあまり鮮明ではない。テレビで日本選手を応援していたのだろうが、私の時間と気持ちは渡航の夢で占められていたのだろう。
持ち帰ったオファーの実習時期はどの国も夏の3ヶ月くらいが大半だった。その後、派遣する学生を選考することになった。しかしこの活動がまだ多くの学生に知られていたわけでもなかったので、日本支部に加わっていた数校で選考することになった。
選考といっても、希望する学生と選考するメンバーが重複している場合が多かったから、そんな場合は明らかな出来レース状態であった。それでも一応面接試験といったことはやったような気がする。