三冊の出版に打ち込む
治宇二郎は二年前から『日本石器時代遺物発見地名表 第五版』の編纂を八幡一郎さんと進めていた。
同時に自身で『日本石器時代文献目録』をつくりたいと考え、この編纂の仕事も少しずつ進めていた。こちらは文献の数が膨大であり、これに打ち込むには資金も必要であった。
岡茂雄さんはこの仕事に力を貸したいと思い、民俗学を通じてかねてから親交があった、渋沢栄一の孫に当たる渋沢敬三さん(実業家。民俗学者)に資金援助を依頼した。
政財界に身を置きつつ自らも民俗学に取り組む渋沢さんは、その意義を理解し、月々五〇円出すことを快諾してくれた。その時渋沢さんは「あくまで密かに」渡すようにと厳に言い渡したという(岡 茂雄『本屋風情』)。
このことは後に治宇二郎の知るところとなったが、それは別として、渋沢さんは見ず知らずの若い研究者であっても、これを助け育てる人であった。
同時に岡 茂雄さんから考古学の入門書を書くことを勧められた治宇二郎は「前から先史考古学語彙というか、入門書というか、そういうものを作りたいと思っていたのですが、その啓蒙書というか、入門書というか、そういうものに切り替えましょうか」(岡 茂雄、前出)と答えた。
岡さんもこれに同意し、「文献目録」と並行して執筆を進めることになった。