パターンとしては移動性高気圧の晴れか、弱い西高東低の時を狙うべきだと思う。日本海低気圧の晴れなどはむしろ時間的に遭難に結び付く可能性が大であろう。外は小雪。風はこの信州側では常に弱く、判断の要素としてはあまり頼れない。しばし、意味もなく考え込んでしまう。出るべきではないのか、気象的行動規制を厳にして。

揺れ動くローソクの火の下で、シュラフから半身起き上がっていた三人はそう結論を出した。二十三時はとうに過ぎている。わずかの安眠をむさぼるために、いそいでシュラフにもぐり込む。暗闇のなかで、西俣の出合いからここまで三日間もかかってラッセルし、遂に登頂する時をなくして山を下りた静岡大学の山男達のことを想った。風が時時テントをゆさぶる。

二十八日

Ⅽパーティーは午前一時に起きて主に食事作りにあたる。サポートのBパーティーは三時過ぎアタックAパーティーの荷を担いで小雪の中を出発した。懐中電灯の灯が四つ、蛍の明かりのように動揺しながらゆっくりと遠ざかってゆく。風のために昨日のトレースも消えがちで、相当なラッセルもあり、その灯はとどまりがちであった。

四時過ぎAパーティーは元気いっぱいの掛け声を残して出発。サポートの踏み跡に沿ってほの暗い雪稜を登って行った。ようやく明るくなった頃、Bは最後の壁を登り切ってAパーティーと荷を変え、Aパーティーは国境稜線の吹雪の中を冷池小屋目指して降りて行った。サポートは八時過ぎ帰営(上記報告を聞く)。

午後、風雪はいぜんとしてテントをたたき、天気図は日本海下方に寒冷前線を作って待つ者を落ち着かせない。夕暮れが気にかかりはじめた五時過ぎ、コールが下りてくる。

それっとばかりに飛び出してほとんど消えてしまったトレースをラッセルする。ヤッケを凍らし、まつげを真っ白にして元気な姿が次々と現れる。