【前回の記事を読む】GIGAスクール構想事業が大成功!大きな助けとなったのは「中国人アルバイターたち」

第1章 私の流儀「チャレンジ」

少年時代にハマったもの

芽生えたメカと中国への興味

私のビジネスに対する考え方を知っていただくために、私の生い立ちと生まれ育った時代背景について記したいと思います。しばし、おつきあいください。

私は昭和44年(1969)に、大阪第2の都市である堺市の三国ヶ丘で生まれました。仁徳天皇陵(大仙陵古墳)で有名な、現在の堺区に含まれる地域です。

父母は徳島県の出身で、当時、二人が勤めていた木材加工会社で知り合って結婚しました。父はその後もサラリーマンですから、特に裕福ということもない、ごく普通の家庭です。

小学生の頃に、母方の実家がある徳島県の阿波市へ引っ越し、以来、成人するまでそこで過ごしています。

当時、少年マンガ誌が全盛時代で、『週刊少年ジャンプ』『週刊少年サンデー』『週刊少年マガジン』『週刊少年チャンピオン』がしのぎを削っていました。いまでもそのようですが、なかでも『ジャンプ』がずば抜けていて、「北斗の拳」「ドラゴンボール」にみんな夢中になったものです。

私は「キャプテン翼」派。このマンガに憧れてサッカーをはじめた口です。その頃はまだまだ日本は野球文化中心でしたから、小学生のあいだでサッカーがブームになった走りだったのではないでしょうか。

さらに、当時爆発的に流行(はや)ったのが「機動戦士ガンダム」。私もガンダムにハマり、いまで言う「ガンプラ」、ガンダムのプラモデルをほぼすべて持っていたんじゃないかと思います。

こうして思い起こすと、「ガンプラ」がメカニックなものへの興味のはじまりで、以後、オーディオ機器からマイコン、そしてプログラミングにつながっていったように思います。

中学校に入って、歴史が好きになりました。

当時もいまも中高生が興味をもつ中国史といえば『三国志』。たしか、小説も読みましたが、横山光輝さんのコミックにも夢中になって、「中国ってすごいな」と思ったものです。

私の中国好きをさらに加速させたのが、ジャッキー・チェンの一連の映画と、ジェット・リー(李連杰(リリンチェイ))が主役を務めた『少林寺』。ジャッキー・チェン映画はほとんど見ましたし、最初に『少林寺』を見たときには、どれほど河南省にある少林寺に行きたいと思ったことか。

この頃から、中国は行ってみたい国のナンバーワンだったと思います。コロナ禍が明けたら、まだ見たことがない万里の長城を見にいきたいと、いまも思っています。

このような思い入れがあるため、現在の中国が覇権帝国主義的傾向をもち、人権弾圧などで国際的な悪評が高じても、どうしても悪感情をもちにくい傾向があるような気がします。

ジャッキー・チェン映画と『少林寺』の影響で、「格闘技をやりたい」と思うようになった私は、中学で柔道をはじめました。拳法をやりたかったのが本音です。