ジャーナリスト Léon Bailby

レオン・ベエルビ 1867.3.9 パリ─ 1954.1.19 パリ

 

カイロでの軍事顧問と近衛騎兵隊大尉を経て年金生活をしていた父のもとに1867年3月9日パリで生まれたレオン・ベエルビは、カトリックのイエズス会系の学校から、コレージュ・スタニスラスに進学、パリ政治学院の前身「政治学自由学校」で法律を学びます。

国民議会議員で百貨店のル・プランタン創始者であったジュール・ジャルーゾと知り合ったレオンは彼の議会公設秘書となり、日刊紙「ラ・プレス」の議会担当編集者となります。

1905年8月ジャルーゾの破産に伴い、レオンは「ラントランシジャン」紙の編集部に1905年10月30日から加わり、1908年2月に75,000フランで会社の株式の一部を買い取ります。1910年彼はギョーム・アポリネールに芸術時評を任せますが、この時にマリーと知り合い友人となります。1926年にはスポーツ欄を独立させて「マッチ」誌を創刊。これが現在の「パリ・マッチ」誌となります。

私生活ではホモセクシャルで、マリーが肖像画も描いた作家でジャーナリストのアルベール・フラマンと長く暮らしました。同じく作家でマリーの親友マルセル・ジュアンドーはマリーの紹介でレオンと知り合うことができたと書き残しています。

『レコー・ド・パリ』や『ラレート』など多くの雑誌や新聞社の創設者でパトロンであり続けたレオン・ベエルビは1954年に亡くなり、その500万~ 600万フランにのぼる遺産は出版者年金基金に遺贈されました。