幼稚園の友達を泣かせては先生に叱られていた頃、祖父が師範を、父が師範代を務める町道場に入門させられた。そこでは大声を出しても打ち込み用の器械を思い切り叩いても叱られなかった。叱られるどころか、大いに褒められた。

「よし、いいぞ虎次郎」

「元気があっていいですね」

「筋がいいですよ」

「虎次郎くんはおじいさん似だな」

じいちゃん子の俺は祖父や先輩剣士にたくさん褒められて剣道が大好きになった。しかし、それで「虎」が大人しくなることはなく、小学校に上がっても相変わらずの問題児だった。

背の順で並ぶときはいつも一番後ろで体格もよかったから、道場では比較的早く大人の稽古に参加させてもらった。強かに打ち据えられたことは数え切れない。体当たりで吹き飛ばされたこともある。特に門下生から「鬼」と恐れられる師範代の父は容赦なかった。

辞めたいと思ったことは何度もあったが、辞めようと思ったことは一度もなかった。祖父と父は剣道、祖母は薙刀(なぎなた)、母は弓道という武道家の家系に生まれた俺は剣道を続けることが家族であるための条件だと思っていた。

道場で全力を出せるように、日常生活では無駄なエネルギー消費を避けようと決めた。理由もなく暴れたくなったときは手の甲に書いた赤い丸を見て深呼吸をする。叫び出したい衝動に駆られたときは手首に留めた輪ゴムを十回弾いて空を見る。そうやって自制することを学んだ。

中学生になると、赤い丸と輪ゴムはワイシャツとネクタイに替わった。しばらくしてかけるようになった眼鏡も役に立った。制服をきちんと着て自制心を働かせる。眼鏡をかけて凶暴性を眠らせる。自己暗示をかける小道具は道場で力を爆発させるための必需品となった。

そのおかげもあってか、去年の全国大会ではベストエイトに入ることができた。

準々決勝で優勝候補筆頭の九州代表の選手から一本先取したものの、終了間際に取り返され、二回目の延長戦開始直後に三本目を取られて逆転負けした。とても悔しい思いをしたが強い相手と戦えた喜びはそれに勝り、帰りの新幹線から見た富士山を清々しい気持ちで眺めることができた。