破門 柘植(つげ)(とら)次郎(じろう)

「メーン!」

頭上に迫る太刀筋を見切って首を傾ける。右肩の面ぶとんを叩いた竹刀が小気味よい音を体育館に響かせた。鍔迫り合い(つばぜりあい)を嫌い、「引き面」で跳び下がった対戦相手の垂れには福竹(ふくたけ)一中(いっちゅう)須藤(すどう)のゼッケン。知らない名前だ。追撃はしない。試合は始まったばかり。この程度の相手ならいつでも一本取れる。仕切り直しだ。

「小手あり!」

背の高い主審が高々と白旗を上げている。大きな大会や強化合宿でよく見かける、開会式では審判部長として挨拶に立った〝偉そうな〟先生だ。

主審からは死角だった。音だけで判断しやがったな。第一、須藤は「メン」と言っているじゃないか。髭面の副審が紅白の旗をへその前でぶんぶん振って否定の意思を示している。当然だろうの思いと共にもう一人の副審を振り返ると、見覚えのある八の字眉毛が自信なさげに白旗を上げていた。

練習試合でも合同練習でも、旗はおろか竹刀すら持ったことのない秋倉中(あきくらちゅう)の先生だ。ちっ、管理顧問が。

中学校で部活の顧問をしている先生の全員が自分の得意競技を担当している訳ではない。基本的には本人の希望に沿って決められるが、特定の部に希望者が重複して他の部活に他の部活に回されたり、得意競技の部活そのものがなかったりするなど、学校ごとに様々な事情があって先生個人の思い通りにはならない。外部指導員に練習や試合の面倒を見てもらうこともあるが、生徒の安全の確保、部費の管理、公式戦の引率などは顧問が行うことになっている。

要するに、八の字眉毛は顧問としての責任上、仕方なく旗を持っているという訳だ。

剣道の個人戦は地区予選でも試合数が多い。すべての試合の審判を経験豊富な先生だけで行うのは困難だ。そのため緒戦はそれなりにできる先生が主審を務め、副審は八の字眉毛のような管理顧問が担当する。その辺りの事情は他の部活でも似たり寄ったりだろう。いわゆる大人の事情というやつだ。

どんなに動体視力がよくても竹刀の動きは追い切れない。例えば、F1のレース観戦。ドライバーの操作ミスか、マシントラブルなのか、詳しい人なら遠くで見ていてもすぐにわかる。しかし、目の前をフルスロットルで駆け抜けるドライバーの表情をズブの素人に見極められようか。須藤の竹刀が叩いたのは肩を守る面ぶとんだった。

コート周辺で試合の順番待ちをしている他の選手には見えていた。このざわめきが何よりの証拠だ。しかし、一番近くで見ていたがゆえに八の字眉毛には見えなかった。