主審と髭面の判定が割れたのを見て、貴様は迷ったな。自分のような素人が審判部長に従わなくていいのか、見えなかったのに否定していいものかとためらったな。棄権という手もあったはずだ。へその前で旗を交差させ、正直に「見えませんでした」という意思表示をすれば主審の旗は髭面の旗で相殺されて誤審を防ぐことができた。しかし、副審という大役を任されて、一番近くで「見えませんでした」は情けないとでも思ったか。

剣道の審判はとてつもなく難しい。素人が審判をすること自体、最初から無理がある。それは俺も承知している。その点においては八の字眉毛に同情する。だが、引き受けた以上はきちんとやってもらわねば、選手はたまったものではない。

主審も主審だ。八の字眉毛の負担を軽くしてやろう、自分が引っ張ってやろうという余計な気負いで最初から目が曇っていたな。だから館内に響き渡った大きな音で判断した。死角で見えなかった「引き小手」に旗を上げた。真相は当たらずとも遠からずといったところだろう。

灰倉中(はいくらちゅう)の柘植が一本取られたぞ」

「ないわー、あれはないわー」

「ツイてねえなあ」

黙れ、外野。いつまで騒いでいる。すぐに取り返してやるさ。

「早く戻って構えなさい!」

相変わらず偉そうだな、審判部長殿。虎の尾を踏んだことを後悔させてやる。赤っ恥掻かせてやるからな。

「二本目!」「メーン! 」

何の工夫もない正面打ちを誤審のしようもないほどがっちりと受け止め、鍔迫り合いをしながら八の字眉毛の正面に移動する。そこからなら須藤の右小手がよく見えるだろう。よぉく見ておけ。これが正真正銘の引き小手だ。上体を右に倒し、竹刀を大きく振って右面を狙う。まんまとつられた須藤が手元を上げて防御の体勢に入る。

「お小手だあああっ!」

急速に体を翻して左に飛び、竹刀一閃、手の内を利かせて鋭く小手を叩く。会心の一撃だ。

「小手あり!」

赤旗三本。残心を解いて八の字眉毛をにらむ。おい、目を逸らすなよ。

「はやっ! 瞬発力、桁違い」「相手の選手、柘植を見失ってたぞ」「手首強いなあ」

一々騒ぐな、外野。恥ずかしいだろう。集中力が研ぎ澄まされてくると広く周囲が見えるようになり、外野一人ひとりの声が聞き取れるようになる。散漫になっているのではない。冴えているのだ。今日は早くもその段階に入った。大丈夫、この試合は楽勝だ。