【前回の記事を読む】「ほんとうは、別れたくなかった」溢れ出る英語講師時代の記憶
19歳
私は12年間、クリスチャンの女子校に通った。思い出は修道院のシスターだ。好きな授業は宗教と英語だった。英語は、小学校の高学年の時に習った「ドレミの歌」、リズミカルなテンポが楽しく直ぐに覚えてしまった。発音も褒められ、英語は私の耳に自然に入ってきた。宗教の授業はおとぎ話の様だった。
想像力の豊かな私は、シスターの話が興味深く一生懸命に理解しようとした。宗教の授業で読まれる福音聖書や御ミサ……讃美歌に神父様の話、信者だけが被れるヴェール。そしてシスターがはめる銀の指輪が、一生神と共に生きていくという覚悟の意味を知り、神の世界を想像した。
修道院の周りををよく通り、庭掃除を毎朝しているシスターに挨拶をした。今でも鐘の音に立ち止まる。私の中のカトリックの思い出は、ゴルゴタの丘でルルドの泉なのだ。
私が、タイムスリップ出来るのなら間違いなく19歳と答える。
ずっとぬるま湯に浸かっていた福岡と別れを告げた。緑が豊かな美しい街。地元の人が多い大学は、最初は気おくれしたものの、慣れると楽しいばかりだ。部活は英語クラブに入った。そこは100人以上の大所帯で、ある時はディスカッション、スピーチ、ディクテーションを経験した。最終的に私は英語劇を選んだ。
大好きな英語で劇をする。授業に行くというより、部活をする為に大学に行く日々だった。毎日毎日、仲間に会うのが楽しかった。1年目は照明を担当した。天井裏に入りキャストにピンスポをあてた。2年目でキャストになった。
その役を演じた事が契機となり、私は在学中に俳優養成所に入った。
そこでは色々な授業があった。ジャズダンスやパントマイム、曲を選んで自分でプロデュースしたりもした。成績表もあり先生のコメントは厳しかった。演技指導は先生だった。私のジュリエットは酷いものだった。
「セリフを口語の英語に直して来い」
次の週、それで演った。
先生は「そうだよ、それでいいんだよ。英語では出来るのにどうして日本語では出来ないんだ。お前、英語劇に帰れ!」
英語が好きなのか、日本語で演りたいのかわからなくなった。私はおばあさんの役をする事があった。すると「お前はお姫様がやりたいのか、お前はセンゴクノリコみたいな女優になるんだよ」。
たまに行く大学は浦島太郎みたいに様子はわからず、私の演技を極めたいという気持ちは次第にフェイドアウトしていったのだった。