夜の闇が拡がる森の中で、少女と黒いコートの男──二人が出会った日。
男は、黒いコートの裾を掴んだ少女の手を振りほどくため、コートを引っ張った。少女はギュッと掴み、コートを離さなかった。二度三度、男が引っ張っても少女はコートを離さない。焦れた男は、コートを強く引っ張った。強い力で引っ張られたコートは、ビィーっと音を立てて少しだけ裂けた。その音と裂けたことに少女はびっくりして手を離した。
「ふん」
もとからボロボロだったコート。男は気にも留めずに歩き出した。少し離れただけで、黒いコート姿は夜の森に吸い込まれるように見えなくなる。少女はあわてて男を追いかけた。
ただ歩いているだけの男に、少女は必死についていく。木の根や、起伏にとんだ暗い森の中を男は何事もないように歩く。少女は息を切らせながら、かする枝葉にもかまわず文字通り必死についていく。幼いながらもこれだけはわかる。
この男と離れたら──自分は死ぬ。
その時。男が立ち止まった。
「おいガキ! 俺についてくるということがどういうことなのか、わかってんのか?」
少女は、男の苛立って言った言葉の意味もわからず、追いついた男のコートの裾を掴んだ。
男は、また強くコートを引っ張ったが、今度は少女も手を離さなかった。手を離さなかったため身体ごと引っ張られ、べチャっと地面に倒れたが、それでも少女は手を離さなかった。
無言で起き上がる少女に、男はあきれるように息を吐いて尋ねた。
「おいガキ。親はどうした?」
「……………」
「歳は?」
「もうすぐ……、十歳」
「じゅう~!? 嘘つけ。七歳か八歳だろ」
男が驚きながらもう一度訊くと、少女は男を見上げたまま首を左右に振った。見れば、少女は口をキュッとへの字にして、顎を震わせながら必死に涙をこらえている。
「離せ」
冷たく言った男の言葉にも、少女は嗚咽を漏らしそうになるのを我慢しているのか、時折、小さく「ウッ」と声を漏らしながら肩をすくめて、男を見つめてコートの裾を離さない。
「……チッ。好きにしろ」
男は吐き捨てるように言って、また歩き出した。