日本文化の探検
そして、最初は文献で日本文化の総論的なもの、例えば梅原 猛氏の「日本文化論」(講談社学術文庫)あたりから学び始めたのです。さらに仏教を知るために西日暮里にある全生庵(山岡鉄舟にご縁のある臨済宗のお寺)で仏教講座があることを知って大森曹玄老師や金岡秀友先生や紀野一義先生といった、今考えれば一流の仏教者の方々の教えを受けたのです。
当時は学生運動の責任を感じて(大学当局に反抗した)自ら5年間も在籍していた大学を中退してアルバイトの生活を続けながらの学びでした。
親の立場から考えたら実に身勝手な親不孝の行動だったと思いますが、こうして私の日本文化探検が始まったのです。
特に仏教の中で釈尊の初期仏典に出会い、そこにあった言葉が私を刺激しました。「人生は短い。死の来たらぬことは無い。だから髪の毛に火が付いたようにふるまうべし」、「真理を求めて髪に火が付いたように求めよ」と、いった言葉です。あるいは「人身受け難し、今まさにこの身を受ける、この身あるうちの真理(悟り)を開かん」と言う言葉でした。
この身がサルでなく犬でなく牛でなく豚でなくいわんや蝉や蚊でなくして「人間」として生まれたと言う奇跡ともいえる現実をまっとうに受け止め、命がけで真理を求めよと説かれていたのでした。
その教えは、命の尊さは犬や豚や牛や猿や蝉や蚊も変わらない、どれもこれもこの宇宙があるいは地球が38億年かけて作り上げた奇跡的な存在であり、決してどれもおろそかにしていい存在は一切ないが、その中でも人間に生まれたということは言語を操り思考をするものとして物事の本質を追及する力を持った存在であるが故に、宇宙の根本的な原理・本質に迫りうる力がある。
故に、この身がこの人間であるうちに宇宙の本質、宇宙の秘密、すなわち真理を掴めと言うことなのだと解釈したのです。釈尊は、因果の構造や人間存在の輪廻転生の構造をおそらく身をもって悟ったのだと思います。
それは学問で知ったのでなく論理的に解明したのでもなく、まさに修行によって体得した“直観智”すなわち「悟った」ことであろうと思いました。それゆえに生きる上でそれをお弟子に対して的確に教え導く事が出来たのだと思います。随分後になりますが、私はそんなレベルに近い人が存在することを知ることになります。
ともかく当時は暗中模索であり手探りで日本文化を学んでいたのです。もっと言えば東洋的・日本的なる世界は知識と修行がセットになっている世界であるらしいとおぼろげながら気がついてきたのでした。神道などでは「言挙げしない」つまり言葉で発しないことを重視していることを後で学ぶことになります。
仏教の一派である禅などはまさにそうで「不立文字」で、禅の世界は所詮言葉ではわからないとされています。日暮里の全生庵の日曜座禅会で初めて禅(臨済禅)に触れ、座禅を組むことで座ることの大切さを知りました。しかし、禅の世界への探求は当時その程度にとどまったのです。